秋田城
秋田県秋田市にある古代城柵 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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秋田城(あきたじょう/あきたのき)は、出羽国秋田(現在の秋田県秋田市)にあった日本の古代城柵。国の史跡に指定されており、かつての城域の一部は現在高清水公園となっている。また、秋田県護国神社も秋田城の城址に遷座したものである。
概要 logo秋田城 (秋田県), 城郭構造 ...
秋田城 (秋田県) | |
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城郭構造 | 古代城柵 |
築城主 | 律令政権 |
築城年 | 天平5年(733年) |
廃城年 | 11世紀頃 |
遺構 | 政庁跡、東門、外郭、トイレ建物 |
指定文化財 | 国の史跡「秋田城跡」 |
再建造物 | 東門、築地塀 |
地図 | |
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秋田城の創建は、733年(天平5年)に出羽柵が庄内地方から秋田村高清水岡に移転した[注釈 1]ことにさかのぼり、その後天平宝字年間に秋田城に改称されたものと考えられている[1]。秋田城は奈良時代の創建から10世紀中頃までの平安時代にかけて城柵としての機能を維持したと考えられており[1]、その間幾度か改廃が取り沙汰されたことがあったものの、出羽国北部の行政・軍事・外交・文化の中心地としての役割を担った[2]。また、秋田城の発掘調査結果からは渤海との交流をうかがわせる複数の事実が指摘されており、文献史料による確たる証拠はないものの、奈良時代を通じてたびたび出羽国に来着した渤海使の受け入れが秋田城においてなされた可能性が高いと考えられている[3][4]。秋田城は朝廷によって設置された城柵の中でも最北に位置するものであり、律令国家による統治の拠点として、また津軽・渡島の蝦夷との交流や渤海との外交の拠点として、重要な位置にあった[2]。