羽生結弦
日本の元フィギュアスケート選手、プロスケーター、エグゼクティブ・プロデューサー (1994-) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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羽生 結弦(はにゅう ゆづる、英語: Yuzuru Hanyu、1994年〈平成6年〉12月7日 - )は、日本のフィギュアスケーター、アイスショーのプロデューサー。宮城県仙台市出身。早稲田大学卒業。2014年ソチ・2018年平昌2大会連続オリンピック金メダリスト。2018年国民栄誉賞受賞。2014年・2018年紫綬褒章受章。2022年までフィギュアスケート競技の男子シングルカテゴリーで活躍し、以降はエグゼクティブ・プロデューサーとしてアイスショーの主催および出演を行っている。
はにゅう ゆづる 羽生 結弦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生誕 |
(1994-12-07) 1994年12月7日(29歳) 日本・宮城県仙台市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出身校 | 早稲田大学 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
職業 | フィギュアスケーター | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 172センチメートル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
受賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アイスショー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
単独公演 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
座長公演 | 羽生結弦 notte stellata(英語版) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィギュアスケート選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
代表国 | 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カテゴリー | 男子シングル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
競技歴 | 1999年 - 2022年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
プロ歴 | 2022年 - 現在 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最高ランク | 1位(2014年 - 2018年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ISUサイト | バイオグラフィ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ISUパーソナルベストスコア | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
+5/-5 GOEシステム | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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+3/-3 GOEシステム | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※ 太字は歴史的世界最高得点(英語版) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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記録 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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YouTube | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チャンネル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
活動期間 | 2022年 - 現在 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャンル | フィギュアスケート | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
登録者数 | 80.8万人 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
総再生回数 | 2512万7298回 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
YouTube Creator Awards
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チャンネル登録者数・総再生回数は 000000002024-01-21-00002024年1月21日時点。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
署名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主な競技成績は、オリンピック2連覇(2014・2018)、世界選手権優勝2回(2014・2017)、グランプリファイナル4連覇(2013・2014・2015・2016)、2020年四大陸選手権優勝、2010年世界ジュニア選手権優勝、2009年ジュニアグランプリファイナル優勝、全日本選手権優勝6回(2012・2013・2014・2015・2020・2021)など。
フィギュアスケート競技の男子シングル史上初めてスーパースラムを達成した選手であり、ディック・バトン以来66年ぶりにオリンピック連覇を達成した選手である。また、ショートプログラム・フリースケーティング・総合得点の全てにおいて、2018年のルール改正以前の歴史的世界最高得点(英語版)を保持している。
略歴
4歳からスケートを始め、15歳で世界ジュニア選手権優勝を果たす。2010年からシニアクラスに移行し、2012年世界選手権では17歳で初の銅メダルを獲得した。2013年グランプリファイナルでシニア主要国際大会初の優勝を飾ると、2014年ソチオリンピックではショートプログラムで史上初となる100点超えを果たし、男子シングルではアジア人選手として初の金メダルを獲得した。さらにその1か月後には世界選手権で初優勝を果たし、アレクセイ・ヤグディンに続きシーズン中にグランプリファイナル・オリンピック・世界選手権を制した史上2人目の男子選手となった。
2014年には日本男子史上初のグランプリファイナル2連覇を達成。2015年NHK杯では史上初となるフリースケーティング200点超え、総合得点300点超えを果たし、さらにその2週間後のグランプリファイナルでも再びその記録を更新し3連覇を果たした。2016年オータムクラシックにて史上初めて4回転ループジャンプを成功させ、グランプリファイナルでは男子史上初の4連覇を達成。2017年には2度目の世界選手権制覇を達成した。2017年NHK杯直前に右足首を負傷したものの、その3か月後の2018年平昌オリンピックでは1952年大会のディック・バトン以来66年ぶりとなる連覇を達成した。
2020年には四大陸選手権を制したことで主要国際大会6大会を全て制し、男子シングルでは史上初のスーパースラムを達成した。2022年北京オリンピックではオリンピック史上初めて4回転アクセルジャンプに挑戦。同ジャンプは転倒したもののアンダーローテーション(4分の1回転以上2分の1回転未満の回転不足)と判定され、それまでの国際大会での挑戦の中では最も回ったジャンプとなった[注 1]。
2022年7月にはプロスケーターに転向し、11月には史上初となるアイスショー単独公演『プロローグ』を開催した。2023年2月には史上初の東京ドーム公演『GIFT』を開催し、2023年11月からは史上初のアイスショー単独ツアー『
記録・受賞
史上初めて成功させた4回転ループに加え、3回転アクセル-1回転オイラー-3回転サルコウ、4回転トウループ-1回転オイラー-3回転サルコウ、4回転トウループ-1回転オイラー-3回転フリップなどの3連続コンビネーションジャンプや、4回転トウループ-3回転アクセルのジャンプシークエンスを史上初めて成功させている。
2017–18シーズンまでに羽生が記録したショートプログラム112.72点、フリースケーティング223.20点、総合得点330.43点は、2017–18シーズンまでの歴史的世界最高得点として保存されている。2018年以前も含め、羽生は2019–20シーズンまでに計19回世界最高得点を更新し、世界ランキングは2013–14シーズンから2017–18シーズンまで5シーズン連続で1位を記録した。
オリンピック連覇後の2018年6月、「多くの国民に夢と感動を、社会に明るい希望と勇気を与えた」として、個人では史上最年少となる国民栄誉賞を受賞した。また、2014年と2018年には紫綬褒章を受章。他にも第1回ISUスケーティングアワードの最優秀選手賞を受賞するなど、キャリアを通じて多くの賞を受賞している。
1994年12月7日、宮城県仙台市泉区に生まれる[3][4]。名前は「弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしい」と父が命名した[5]。鷹乃杜幼稚園[6]、仙台市立七北田小学校[7]、七北田中学校[8]、東北高校[9]、早稲田大学人間科学部卒業[10][11][12]、卒業論文は学術誌に掲載されている[13][14]、2020年早稲田大学「校友会稲魂賞」[15]および、小野梓記念賞[16]を受賞。血液型はB型[17]。
2歳のころから気管支喘息の持病があり、スケートを始めた当初の目的のひとつは、喘息を克服することにあった[18]。15歳のときに、喘息の持病がありながら五輪金メダリストになった清水宏保に会う機会があり、スケートを続けていくための助言を得た経験がある[19][20]。
肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、特に10代のころは体力や持久力の面で劣ると指摘されてきたが、投薬治療や吸入薬、鍼治療、気道を開く施術、移動時や練習時にマスクを着用することで心肺機能を上げるなどの対策を続け、体力面のハンデは大幅に改善された[21]。しかし完治したわけではなく、特に練習拠点をカナダに移してからは、環境の変化により激しい発作に襲われることが増え[22]、現在(2021年時点)も発作を起こすことが、2021年世界選手権後の翌日のオンライン取材で、ロシアメディアからの体調不良の報道を根拠に[23]、記者からの質問に答え明らかになった[24]。
演技前に必ず行う胸の前で十字を切るような動作は、実際には「士」の形を描いており、「ジャンプの回転軸と両肩を平行に保つ意識を確認するためのおまじない」である。2015年11月以降から、両手で天を仰ぐような動作を最後に加えるようになった[25]。
影響を受けた選手として、エフゲニー・プルシェンコ、ジョニー・ウィアー、ステファン・ランビエール、ハビエル・フェルナンデス、ディック・バトンを挙げている[26]。
特に2002年ソルトレイクシティ五輪でのプルシェンコの演技を見て心酔し、技の手本とするに留まらず、彼のマッシュルームカットまで真似した時期もある[27][28]。彼の得意技であったビールマンスピンをプログラムに取り入れリスペクトを示してきたが、2018 - 2019シーズンには『ニジンスキーに捧ぐ』へのトリビュートとなるプログラム『Origin』に自ら挑んでいる[29]。これに対し、プルシェンコも羽生を賞賛する言葉を多々述べている[注 2][29][30][31][32][33]。2015年のNHK杯で3つの世界記録を更新した翌日のインタビューでも、理想とする王者像はプルシェンコであり「彼のような存在になれるように努力していきたい」と述べている[34]。
2023年8月4日、自身の公式SNSで結婚を発表した[35][36]。国際オリンピック委員会(IOC)公式SNSは「羽生結弦さん、ご結婚おめでとうございます」と祝福、結婚発表直後に「羽生くん」がTwitterトレンド世界1位となった[37][38]。同年11月17日、自身の公式SNSで離婚を発表した[39]。離婚の理由としては、誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材や報道により、自身と配偶者を守れないからとした[40]。
コーチと振付師
地元仙台市で長年阿部奈々美から指導を受ける[41]。2012年よりブライアン・オーサーに師事[42]。トロントのトロント・クリケット・スケーティング&カーリング・クラブに所属し、オーサーをチームリーダーとする「チーム・オーサー」による指導を受けている[43]。ジャンプ担当はジスラン・ブリアン[44]。スケーティング担当はトレイシー・ウィルソン[45]、スピン担当コーチはペイジ・アイストロップ、ショート振付師はジェフリー・バトル、フリー振付師はシェイ=リーン・ボーン、エキシビション振付師はデヴィッド・ウィルソン[46]。その他宮本賢二[47]など。
スケート靴の調整は、中学生のころから仙台市(現在はアイスリンク仙台隣接地)に工房を構える元コーチ阿部奈々美の夫の吉田年伸が担当している[48][49]。カナダに練習拠点を移して以降も、小包で送るか帰国時に持ち込んで調整を依頼しており、工房でも羽生専用の研磨機を用意して対応している[50]。
趣味・好物
「いつも変わらないあの表情をみるとリラックスできる」との理由でプーさんを好んでいる。ティッシュカバーにプーさんを愛用しており、試合の際には毎回必ずリンクに連れてきている(オリンピックなど商標権の問題で持ち込めない特殊なケースでは、選手村の自室で留守番とのこと)[51][52]。このような経緯から、国際大会での演技後は各国のファンが客席からプーさんのぬいぐるみを投げ入れる光景が定着していった。現在はあまりに大量のプーさんが贈られるためすべてを連れて帰ることはできず、現地で寄付をするとのこと[53][54]。平昌オリンピックのフリー演技後に投げ込まれたプーさんたちは、地元のボランティアなどの現場スタッフにプレゼントされた[55]。
好きなアーティストにポルノグラフィティ[56]、Hi-Fi CAMP[57](羽生の地元である仙台出身)、BUMP OF CHICKEN[58]、ONE OK ROCKなどを挙げている。特に試合前に聞く「勝負曲」はONE OK ROCKの「完全感覚Dreamer」「キミシダイ列車」とのこと[59][60]。また、音質にこだわるオーディオマニアで、イヤホンを収集している[61]。普段から約50本のイヤホンを用途に応じて使い分けており[62]、もっとも高いイヤホンは自身の耳の型を取った特注品で約22万円[63]。音へのこだわりには並々ならぬものがあり、『SEIMEI』など自身のプログラム楽曲の編集を自ら行ったり、オルゴールの監修を手がけたりしている[64][65]。
他のスポーツでは野球を好んでおり、幼少期より広島東洋カープのファンである[66][67][68]。憧れの選手は前田健太(現MLB・ロサンゼルス・ドジャース)[67]。これに対し前田は「羽生選手に勇気をもらったから、今度は僕が勇気を与えたい」と語っている[69]。プロ野球再編問題によって2004年(羽生が10歳のころ)に新規参入した地元の東北楽天ゴールデンイーグルスも応援している[67]。サッカーは地元のベガルタ仙台と縁が深く[70]、震災発生直後の2011年5月には、ベガルタのホームスタジアム・ユアテックスタジアム仙台での募金活動に参加している[70]。
将棋を好んでおり「自身の2015年を漢字1文字で表すと?」と問われた際には、将棋の駒の「歩兵」が「と金」になることに例えて「成」と回答している[71][72]。また城も好きで、引退したら名古屋城などをじっくり観覧したいとしている[73]。けん玉にはまった当時は『あさイチ』出演時などにも腕前を披露している[74]。愛用品は、日本けん玉協会認定品の「オールブラック」[75]。2019年1月、日本けん玉協会から「大空 Premium Gold」と名入れをした「大けん玉 太陽 Premium Gold」(ともに有限会社山形工房製)が贈られた[76]。
5歳の頃は『ウルトラマンガイア』に憧れており、初めて滑ったプログラム曲はガイアのオープニングテーマであった[77]。TVアニメ『デジモンアドベンチャー』シリーズが好きで「試合前に聴いたり、心の支えとなっていた曲」の1位に『デジモンテイマーズ』の挿入歌である和田光司の「風 〜re-fly ver.〜」を挙げている[78][79]。また、漫画『東京喰種トーキョーグール』のファンであり、自身もCM出演した『モンスターハンター』シリーズのヘビーユーザーである[78][80][81]。北京五輪直後のインタビューでは、一番好きなゲームであり「僕の原点」として『平成 新・鬼ヶ島』と『エストポリス伝記II』の2本(いずれもスーパーファミコン)を挙げている[82]。