船岡山合戦
ウィキペディア フリーな encyclopedia
船岡山合戦(ふなおかやまがっせん)は、永正8年(1511年)8月23日、室町幕府将軍足利義稙を擁立する細川高国・大内義興と前・将軍足利義澄を擁立する細川澄元との間で起きた、幕府の政権と細川氏の家督をめぐる戦いである。応仁の乱の際に船岡山を巡って発生した戦いと区別するため「永正の船岡山の戦い」ともいう。
概要 船岡山合戦, 交戦勢力 ...
船岡山合戦 | |
---|---|
船岡山城遺構 | |
戦争: 両・細川の乱 | |
年月日: 永正8年8月23日(1511年9月25日) - 永正8年8月24日(1511年9月26日) | |
場所: 山城国船岡山(現・京都府京都市北区紫野北舟岡町) | |
結果: 細川高国・大内義興連合軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
足利義稙方 細川高国軍 大内義興軍 |
足利義澄方 細川澄元軍 赤松義村軍 |
指導者・指揮官 | |
細川高国 大内義興 畠山義元 尼子経久 |
細川澄元 細川政賢 畠山義英 赤松義村 |
戦力 | |
不明 | 不明 |
損害 | |
不明 | 不明 |
閉じる