花園中央公園
ウィキペディアから
ウィキペディアから
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.
花園中央公園(はなぞのちゅうおうこうえん)は、大阪府東大阪市に位置し、同市が所有・整備する都市公園(総合公園)である[2]。南東部を除き恩智川の遊水地となっており、その部分は「花園多目的遊水地」と呼称される[3]。東大阪市花園ラグビー場に近接する。
花園中央公園 | |
---|---|
多目的球技場。奥に見えるドーム型の屋根を持つ建物がドリーム21。 | |
分類 | 都市公園(総合公園) |
所在地 |
東大阪市鷹殿町、松原南1・2丁目、吉田6・7・8丁目 |
面積 | 22.1ha(計画36.3ha)[1] |
開園 | 1987年(昭和62年) |
運営者 | 東大阪市 |
駐車場 | あり |
公式サイト | 東大阪市花園中央公園 |
2015年に以下の施設に関して指定管理者を採用している[4]。
2020年10月1日から、2040年3月までの19年半の予定で、東大阪市を本拠地とするサッカーのクラブチーム「FC大阪(運営・一般社団法人FC大阪スポーツクラブ、株式会社FC大阪)」を中心とする「東大阪花園活性化マネジメント共同体」グループが指定管理者として花園ラグビー場を含む公園全体の管理・運営を実施することになった[5][6][7]。なお野球場と多目的球技広場については指定管理契約期間満了まで暫定的に株式会社美交工業が運営を行っていた。
計画面積は36.3haと広大であり、市民の憩いの場の公園として桜の広場、花菖蒲園などが整備されている他に、公園内に以下のような施設がある。
そもそもは花園ラグビー場に近接した大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)のグラウンドの敷地だったが、同校のグラウンドが箕面市に移転したため、その跡地を東大阪市が払い下げる形で整備されることになったものである。
この花園中央公園の敷地内に、近鉄バファローズの本拠地として使われることを念頭に置いた野球場の建設計画が具体化されたことがあった。
近鉄球団は1958年以後、名目上は自社運営の藤井寺球場と日本生命保険所有の日本生命球場のダブルホームスタジアム(野球協約に定める専用球場も両方を登録していた)を取り入れていたが、藤井寺にはナイター設備がなく、実質日生球場をメインとしていた。しかし、日生球場はナイター照明の照度が非常に低いことや施設上の問題からパシフィックプロ野球連盟が問題視していた。そのため1973年に藤井寺球場を改修する際、ナイター設備を設置することを盛り込んだところ、周辺住民がナイター開催が騒音につながるとして建設の差し止めを大阪地方裁判所に行ったため、ナイター開催ができなくなった。この関係でナイターを中心に日生球場の「間借り」状態が続いていた。
このため、当時近鉄の監督だった西本幸雄は、当時球団オーナーだった佐伯勇に、「花園に近鉄で球場を造って、本拠地にしたらどうでしょうか」と進言したところ、「いくらかかると思っているんだ」と建設費用の問題で単独での実施は困難として断られたことを後年述懐している。
そのような状況を東大阪市が踏まえ、この大阪外大のグラウンド跡地に整備する公園の建設に際し、市の出資で野球場の建設を計画。それを近鉄球団の新しい本拠地にすることを提案した。具体的には以下のような理由が挙げられた。
その事は1980年10月15日付け報知新聞(スポーツ報知)で大々的に取り上げられ、1982年完成、収容人員3万人以上、人工芝・ナイター照明塔などを設置する近代的な球場を作るという概況が発表された。だがその後、1983年に藤井寺球場のナイター照明塔の設置工事が再開されることになり(1984年竣工)、この花園球場の建設計画は結果的に幻となってしまった。
近鉄が消滅した9年後にあたる2013年から、合併先のオリックス・バファローズのファームチームが当球場で年1-2試合の主催試合を開催するようになった。オープン戦を含めた一軍の試合の開催実績はまだない。