葛根廟事件
1945年8月14日、満州国興安総省の葛根廟において日本人避難民が攻撃され、1,000名以上が虐殺された事件 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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葛根廟事件(かっこんびょうじけん)は、1945年8月14日、満洲国興安総省の葛根廟[注釈 1]付近において日本人避難民千数百人(一説には1,300名)が攻撃を受け、1,000名以上が虐殺され、あるいは自決した事件[1][2][3]。葛根廟駅事件ともいう。避難民の約9割以上が女性や子供であった[1]。ソ連軍が去った後に、生存者も自決したり[4]、その後の避難の途上で中国人暴民やソ連兵などの襲撃を再び受けるなどして、日本帰還を目指す多くの日本人居留民が犠牲となった。はっきり確認された生存者は百十数名、後に発見された残留孤児を入れても百数十名に過ぎないという[5]。
8月14日の葛根廟事件、8月17日の東京荏原開拓団964名の遭難(双明子事件)、8月25日の仁義佛立講開拓団400名の遭難(洮南西方20キロ)とをあわせて、「総省三大遭難事件」[6][7]、「興安三事件」[8]、「興安省における三大遭難事件」[9]と呼ばれる。また、この葛根廟事件を8月12日の麻山事件、8月27日の佐渡開拓団跡事件と合わせて「北満三大悲劇」ともされる[10]。