藁谷英孝
幕末の日向国延岡藩士、明治時代初期の官吏 (1837-1908)。鹿児島県宮崎支庁長 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
藁谷 英孝(わらがい ひでたか、天保2年4月(1831年)-明治41年(1908年)1月)は幕末の日向国延岡藩士。明治時代初期の官吏。鹿児島県宮崎支庁長。諱は英孝。通称は甚兵衛。実家は加藤氏。延岡藩士時代の石高150石。
西南戦争において鹿児島県令大山綱良の書面を持ち帰って、塚本長民や大島味膳に西郷隆盛と私学校党率いる西郷軍に呼応する延岡隊を結成させ、軍資金確保を行うなど、延岡隊の意思決定を主導した。また鹿児島県宮崎支庁長として西郷軍に前半は積極的に、後半はやむを得ず協力した。