藤原妍子
藤原道長の次女、三条天皇の中宮 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
「藤原賢子」、「藤原兼子」、あるいは「藤原兼子 (伊予三位)」とは別人です。 |
藤原 妍子(ふじわら の けんし/きよこ、994年4月〈正暦5年3月〉- 1027年10月16日〈万寿4年9月14日〉)は、日本の第67代天皇・三条天皇の皇后(中宮)。別名枇杷殿皇太后。
概要 藤原 妍子, 第67代天皇后 ...
藤原 妍子 | |
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第67代天皇后 | |
皇后 |
寛弘9年2月24日(1012年3月19日) (中宮) |
皇太后 | 寛仁2年10月16日(1018年11月26日) |
誕生 | 正暦5年3月(994年4月) |
崩御 |
万寿4年9月14日(1027年10月16日) |
陵所 | 宇治陵 |
諱 | 妍子 |
別称 | 枇杷殿皇太后 |
氏族 | 藤原氏(北家・御堂流) |
父親 | 藤原道長 |
母親 | 源倫子 |
配偶者 | 三条天皇 |
入内 | 寛弘7年2月20日(1010年3月8日) |
子女 | 禎子内親王 |
女御宣下 | 寛弘8年8月23日(1011年9月23日) |
立后前位階 | 従二位 |
女官職 | 尚侍(1004年~1012年) |
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藤原道長の次女。母は源倫子。同母の兄弟に頼通・教通、上東門院彰子・威子・嬉子がある。子は禎子内親王。
和歌に優れ、『新古今和歌集』以下の勅撰和歌集に8首が入集した[1]。文学サロンを形成し、部下に宣旨で勅撰歌人の大和宣旨がいる。