藤波畷の戦い
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藤波畷の戦い(ふじなみなわてのたたかい)は、永禄4年(1561年)9月13日(旧暦)に行われた、東条吉良氏の居城東条城をめぐる吉良氏と松平元康(徳川家康)の一連の攻防戦の一つ。
概要 藤波畷の戦い, 交戦勢力 ...
藤波畷の戦い | |
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藤波畷古戦場碑 | |
戦争:三河東条城攻防戦 | |
年月日:永禄4年9月13日 (旧暦)(1561年) | |
場所:愛知県西尾市吉良町瀬戸藤波 | |
結果:松平軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
松平軍 | 東条吉良軍 |
指導者・指揮官 | |
松平元康 | 富永忠元 |
戦力 | |
不明 | 不明 |
損害 | |
大久保大八郎・鳥居半六郎戦死 | 富永忠元戦死、東条城陥落 |
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この戦いで吉良義昭の家老富永忠元(伴五郎)が本多広孝に城下の藤波畷(愛知県西尾市吉良町瀬戸藤波付近)で討たれ、吉良義昭は降伏したとされる。