要害山城
山梨県甲府市にあった城 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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要害山城(ようがいさんじょう)は、甲斐国山梨郡(現山梨県甲府市)にあった日本の城。躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)の詰城として築かれた山城である。国指定史跡[2]。要害城、積翠山城とも呼ばれる。
概要 logo要害山城 (山梨県), 別名 ...
要害山城 (山梨県) | |
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麓から望む要害山(2010年12月撮影) | |
別名 | 要害城、積翠山城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 武田信虎 |
築城年 | 永正17年(1520年) |
主な改修者 | 武田勝頼、加藤光泰 |
主な城主 | 武田氏、徳川氏、加藤光泰 |
廃城年 | 慶長5年(1600年) |
遺構 | 堀切、竪堀、石垣、虎口、土塁、井戸、曲輪、土橋[1] |
指定文化財 | 国指定史跡 |
位置 | 北緯35度42分10.93秒 東経138度35分53.61秒 |
地図 | |
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甲府盆地周縁の中央北部、相川扇状地の扇頂部に位置する甲府市上積翠寺町(かみせきすいじまち)にあって、標高780メートルの要害山[3](丸山)中腹の傾斜地を中心に築かれている。なお、要害山は山梨百名山[3]、甲府名山に選定されている。