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解放令反対一揆(かいほうれいはんたいいっき)は、日本の明治時代はじめに各地でおきた暴動、襲撃事件で、一般民衆が解放令に反対して起こした。当時、一部の地域で穢多狩り[1]と言われたとされる。
明治4年8月28日(1871年10月12日)の太政官布告(解放令)により、江戸時代の穢多・非人などの賤民身分及び呼称(とそれに伴う死牛馬取得権など)が廃止された[2]。しかし一般民衆の中にはこれに反発するものがあり、一揆をなして被差別部落民を襲撃する事件を起こした。これが解放令反対一揆である。それは1871年(明治4年)から1877年(明治10年)まで発生したことが分かっている[3]。これを上杉聰や中村拡三らは賤民差別から部落問題の発生の移行期とみる[4][5]。
1871年(明治4年)に広島県で2名死亡、高知県で部落70戸中67戸破壊、1872年(明治5年)に岡山県で4名死亡、1873年(明治6年)に岡山県で18名死亡、福岡県で大量放火により64000人処罰、香川県で部落へ通じる橋3つの破壊、などの記録が残されている。
なお、鎮圧にあたって有力庄屋層が「解放令は『五万日の日延べ』になった」という虚言により農民を納得させ、結果的に解放令の発効を認めなかった地方もあったとされる(ちなみに、2008年9月3日に解放令公布から50000日を経過した)。
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