謝名利山ウィキペディア フリーな encyclopedia 謝名 利山(じゃな りざん、嘉靖28年/天文18年〈1549年〉- 万暦39年/慶長15年9月19日〈1611年10月24日〉)は、琉球王国の政治家。三司官として対日本外交で強硬姿勢をとり、1609年の琉球侵攻の後、処刑される。 謝名親方(じゃなうぇーかた)の呼び方で一般に知られる。唐名は鄭迵(ていどう)。 鄭迵謝名親方利山顕彰碑
謝名 利山(じゃな りざん、嘉靖28年/天文18年〈1549年〉- 万暦39年/慶長15年9月19日〈1611年10月24日〉)は、琉球王国の政治家。三司官として対日本外交で強硬姿勢をとり、1609年の琉球侵攻の後、処刑される。 謝名親方(じゃなうぇーかた)の呼び方で一般に知られる。唐名は鄭迵(ていどう)。 鄭迵謝名親方利山顕彰碑