速水和彦
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速水 和彦(はやみ かずひこ、1889年(明治22年)12月19日 - 1949年(昭和24年)8月12日[1])は日本の機械工学者。日本統治時代の台湾で総督府の技師として、台北市七星郡松山庄(中国語版)(現:信義区)に新設された新台北鉄道工場(現:台北機廠)の設計を手がけた。台湾では「北廠之父」(台北機廠の父)と呼ばれている[1]。位階は従三位。
概要 速水 和彦 はやみ かずひこ, 生誕 ...
速水 和彦 はやみ かずひこ | |
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生誕 |
(1889-12-19) 1889年12月19日 日本 北海道庁釧路郡 (現:北海道釧路市) |
死没 |
(1949-08-12) 1949年8月12日(59歳没) 日本丸船上 |
国籍 | 日本 |
業績 | |
専門分野 | 機械工学 |
所属機関 | 台湾総督府交通局 |
勤務先 | 交通局鉄道部、国立台湾大学 |
雇用者 | 台湾総督府 |
プロジェクト | 新台北鉄道工場の設計 |
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