郡山合戦
ウィキペディア フリーな encyclopedia
この項目では、陸奥国での合戦について説明しています。安芸国吉田での合戦については「吉田郡山城の戦い」をご覧ください。 |
郡山合戦(こおりやまがっせん)は、天正16年(1588年)2月から7月にかけての、安積郡郡山城・窪田城一帯をめぐる伊達政宗軍と蘆名義広・相馬義胤連合軍との一連の戦闘の総称である。ただし、田村清顕没後の田村氏の混乱(天正田村騒動)に乗じた同年4月以降の相馬氏の田村領侵攻とこれに対する伊達氏の反撃以降に限定する考え方もある(それ以前の戦いは蘆名氏側が主導的に政宗と戦ったのに対し、郡山合戦における蘆名氏は相馬氏の援軍として伊達氏と対峙しているため[2])。