鎮台
1871年から1888年まで置かれた日本陸軍の編成単位 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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この項目では、1871年(明治4年4月)から1888年(明治21年)まで設置していた日本の陸軍の部隊について説明しています。
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- 1868年(慶応4年1月)から戊辰戦争の経過によって新政府が大和[3] [4]、大坂[5] [6]、兵庫[7] [6]、佐渡[注釈 1]の地方に鎮撫総督として置いたもので[9]、鎮台は内国事務総督が督すとしていた[10] [11]。大和鎮台(やまとちんだい[12])は翌月に廃止して大和鎮撫総督(やまとちんぶそうとく[12])に改め[13] [14]、また大坂鎮台・兵庫鎮台(ひょうごちんだい[15])なども裁判所と改めた[16] [17] [8]。
- 1868年(慶応4年5月)の上野戦争の後、新政府が既に設置していた江戸府とは別に江戸に置いたもの[18] [19] [20] [注釈 2]。同年7月8日(5月19日)に東征大総督の有栖川宮熾仁親王を江戸鎮台(えどちんだい[22])とし[18] [19] [20]、翌日にその役所を江戸城西の丸に設けて[23]これを鎮台府(ちんだいふ[1])と称し[24]、駿河以東13か国を管轄した[注釈 3]。同年(7月)に鎮将府(ちんしょうふ[1])と改めた[27] [28] [29] [注釈 4]。これが鎮台の権輿になる[9]。
- 1871年(明治4年)から1888年(明治21年)まで置かれた日本陸軍の編成単位である。常設されるものとしては最大の部隊単位であった。兵制としては御親兵の後を継ぐもので、鎮台の設置とその後の徴兵制実施をもって日本の近代陸軍の始まりとする。師団への改組で廃止された。本項では主にこの鎮台について記述する。