阪堺電鉄
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阪堺電鉄株式会社(はんかいでんてつ)は、かつて大阪府大阪市浪速区の芦原橋駅から大阪府堺市の浜寺駅を結ぶ軌道線を経営していた鉄道会社。
種類 | 株式会社 |
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略称 | 新阪堺電車(通称) |
本社所在地 | 大阪府住吉区浜口町443番地1[1] |
設立 | 1923年(大正12年)6月2日[1] |
業種 | 鉄軌道業[1] |
事業内容 | 旅客鉄道事業、不動産[1] |
代表者 | 社長 西田正俊[1] |
資本金 | 6,000,000円[1] |
発行済株式総数 | 120,000株[1] |
主要株主 | |
特記事項:1942年(昭和17年)9月現在[1]。 | |
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開業時、既に大阪府大阪市浪速区の恵美須町駅から大阪府堺市の浜寺駅前までを結ぶ南海鉄道阪堺線(当時。現在の阪堺電気軌道阪堺線)が存在したことから、この南海鉄道阪堺線と区別するため、新阪堺電車と呼ばれていた路線でもある。そして又、大阪市内 - 浜寺間には、同じ軌道線である南海鉄道阪堺線の他に鉄道線という強力な南海鉄道南海本線(現在の南海本線)との競争が存在し、更に沿線は、大阪湾臨海部の過疎地域であった事から旅客営業は芳しくなく、おまけに風水害の被害をよく受けるなどした。
戦時体制下、軌道事業を管轄する監督官庁である内務省、及び運輸通信省、並びに阪堺電鉄阪堺線が走っていた大阪府道29号大阪臨海線を管理する大阪府からの要請を受けた大阪市が、大阪市議会での“阪堺電鉄株式会社の買収”に関する議案の可決を経て、軌道法第17条(現在、軌道法第17条は、法改正により軌道法の条文から削除されている)を発動するに至った為、大阪市営化の道を選択せざるを得なくなり、法人としての阪堺電鉄株式会社は、1944年〔昭和19年〕3月に大阪市電気局(後の大阪市交通局、現在の大阪市高速電気軌道)に買収された。
なお、阪堺電鉄が行っていた軌道事業は、1944年〔昭和19年〕4月1日に大阪市営化され、1968年〔昭和43年〕9月30日に廃止されるまで、大阪市電阪堺線、通称三宝線として存続したが、それに並行する形で行われていた宅地開発業についても、同様に大阪市へ引き継がれた。なお、大阪市電阪堺線が廃止された後、代替路線として地下鉄四つ橋線の玉出駅 - 住之江公園駅間が建設され、1972年11月に延伸開業している。