露仏同盟
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露仏同盟(ろふつどうめい、ロシア語: Франко-русский союз、フランス語: Alliance franco-russe)は、第三共和政期のフランスとロシア帝国の間で成立した軍事同盟。経済的対立をふくむ欧州情勢の混迷を背景として、両国の交渉はビスマルク辞職後の1890年にドイツ側が独露再保障条約の更新を拒絶し、1891年から公然化した。公式の同盟は1894年1月4日に締結され[1]、そこで三国同盟を仮想敵とする集団的自衛が定められた。
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は世界政策を掲げ、艦隊法の制定以降イギリスとの建艦競争に突入した上、いわゆる3B政策を企図してロシアとの関係も悪化させた[注釈 1]。露仏同盟は三国協商の土台となり[1]、日英同盟と結びつき対独包囲網を形成した。