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青柳 有美(あおやぎ ゆうび、1873年(明治6年)9月27日 - 1945年(昭和20年)7月10日)は、ジャーナリスト、随筆家、牧師。
秋田県秋田市手形本新町生まれ[1]。青柳為治・ヒサの長男[1]。本名は猛。東京の共立学校で学んだのち、故郷の秋田英和学校のハリソンのバイブルクラスで英語を学び、1887年(明治11年)C・E・ガルストより洗礼を受けてキリスト教に入信した[注釈 1]。1894年(明治27年)、同志社普通学校の文学政治経済学科を卒業した。1895年(明治28年)、明治女学院で教えながら、関口教会で牧師をする[1]。明治女学院では島崎藤村と同職した[1]。一方では1893年(明治26年)から明治女学院教頭の巌本善治に協力して『女学雑誌』の発刊にかかわり、編集を担当した[1]。1903年(明治36年)には主幹となっている。
その後、一時帰郷して大館中学校、秋田中学校を教鞭をとったが、再び上京し文筆生活に入った[1]。
大正期には実業之世界社の編集者となり、『女の世界』を発行した。安成二郎とともに同誌の編集にあたり、男でも読む毛色の変わった女性誌と評された[2]。女性問題、性、恋愛問題についての著作が多い。
職業の転変がいちじるしく、上に掲げたほか、たばこ屋、扶桑新聞記者、名古屋日報の主筆、東邦電力勤務などを経て、晩年は宝塚歌劇学校の教師であった[1]。墓所は練馬区敬覚寺。
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