韋皇后 (唐中宗)
唐の中宗の皇后 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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中宗が皇太子となると、妃(継室)となった。嗣聖元年(684年)、中宗が即位すると、皇后に立てられた。
中宗は生母である武則天に対抗すべく、韋后の父である韋玄貞を侍中に任用する計画した。結局中宗は武則天の怒を買い、即位後わずか55日で廃位された。中宗が湖北に流されそれに随行、流刑地に赴く途中で末っ子(安楽公主)を産んだ。また韋氏の家族たちは流刑地で死去した。二人の妹がしか残っていない。夫婦は苦難の日々を送ったが二人の仲は良かったという。何度も中宗が自殺しようとしたが、韋氏に止められた。中宗は韋氏に対して「もし後日、私が重ねて天日を見ることができたら、きっとあなたを好きなようにさせて、何の制限も加えません」と誓いを立てた。
聖暦2年(699年)、夫は武則天により召還されて再び立太子された。しかし韋后は度重なる不運に見舞われた。次女の永寿公主が早世した。大足元年(701年)、長男の李重潤と三女の李仙蕙が張易之・張昌宗に関し謀議を行ったとして武則天により死を賜った。
神龍元年(705年)、武則天より譲位されて中宗が復位すると、武三思らと結託し、従兄の韋温とともに朝政を掌握した。景雲元年(710年)には自らの即位を意図し、安楽公主とともに中宗を毒殺、温王李重茂(殤帝)を皇帝に擁立した。しかし間もなく李隆基(玄宗)が政変を起こし、その父である相王李旦(睿宗)が復位した。韋后は殺害され、その身分も庶人に落とされた。
- テレビドラマ
- 『則天武后』(1995年)演:郭淑萍
- 『二人の王女』(2012年)演:蒋林静
- 『謀りの後宮』(2013年)演:ホー・ツァイフェイ
- 『武則天 -The Empress-』(2015年)演:席与立
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