飛地
領土などの一部分で、大部分ないし中心地とは隔てられた場所にある土地 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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飛地(とびち、飛び地)とは、一つの国および地域の領土や行政区画、町会等のうち、地理的に分離している一部分である。土地の一部が「他所に飛んでいる」と見られることからこう呼ばれる。
Aの領域がA以外の領域によって、複数に分断されている状態にあるとする。Aの主要地域以外のその他の領域が飛地である。ある領域を飛地と呼ぶかどうかは、その行政単位の地形・政治・交通などの状況によって判断される。もっとも、その判断も意見が分かれることがしばしばある[1][2]。以下に、ケースごとの飛地について概説する。
他の行政単位によって分断された内陸部の領地
ある行政単位Aに対して、別の行政単位Bが近傍に存在しているとする。そして、Bの領域内に囲まれるようにしてAの領地A1が存在する場合、A1はAの飛地である。このケースに限っては、ほとんどの者がこれを飛地と認め、そのことには異論がないことが多い[2]。なお、ここでは仮に、本土と飛地を分断する行政単位を単一のBとした。が、本土と飛地を分断する行政単位は複数であってもよい。例えば、行政単位Cに対して、複数の行政単位A、D、Eの領域によって囲まれた領地C1もCの飛び地である。これは以下のケースでも同様である。日本の和歌山県北山村やアゼルバイジャンのナヒチェヴァン自治共和国が例として挙げられる。
他の行政単位によって分断された水域に面した領地
ある行政単位Aが、同一の陸地に複数の領域をもつとする。そして、本土Aは内陸にあり、一方で、本土A以外の領地A2が水域に面しているとする。かつ、A2は別の行政単位Dの領域によって分断されているとする。そのとき、A2は、本土Aと飛地の関係にあるといえる。この場合も、上記と同じく多数の者が飛地であると認める事が多い。青森県五所川原市やパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区(本土)に対するガザ地区(飛地)が例として挙げられる。
またある行政単位DおよびFが、同一の陸地に複数の領域をもつとする。そして、それらのD・Fの複数の領域について、本土D・本土Fを含めたすべての領域が水域に面しているとする。かつ、それらのD・Fの領域が、別の行政単位Eの領域によって分断されているとする。このときも、上記と同じく、領地D1・F1は、本土と飛地の関係にあるといえる。しかし、この場合は、飛地と呼ぶかどうかについては議論の余地がある場合が多い[1]。例えば、アメリカ合衆国におけるアラスカ州やロシア連邦のカリーニングラード州は飛地であると判断されることが多い(本土D・領地D1の関係)。一方で、同じ条件を満たすトルコのイスタンブールがあるトラキア地方は、本土と海峡を介して近接しており、飛地とはみなさないことがある(本土F・領地F1の関係)。
本土と水域で分断された領地
上記のケースに当てはまらず、本土と飛地が同一の陸地に所属しないケースである。これが飛地かどうかについては、微妙なケースである。以下にさらにケースを細分化する。
ある行政単位Bが、複数の島にわたって複数の領域をもつとする。そのとき、島に存在する行政単位がBだけである島B1を飛地と呼ぶことはまずない。例えば、広島県廿日市市における厳島、東京都における伊豆大島などは飛地ではない。
しかし、その島に複数の行政単位の境界線が通っている場合は、飛地となり得る。具体的には、島B2の両側に、複数の行政単位BとGが存在するとする。BとGは島B2にそれぞれ領域を有しており、島内にそれらの境界線が引かれている場合は、飛地とされる可能性がある。例えば、大阪府の関西国際空港の空港島とそれを分断する対岸の自治体(泉佐野市・田尻町・泉南市)は、空港島をめぐって交通が分断されていることもあって、飛地を構成しているといえる可能性がある。また、瀬戸内海において岡山県と香川県の県境で分断された井島なども、場合によっては飛地とみなされることもある[2]。
また、橋ができたが故に飛地とみなされる可能性がある。行政単位Bが領有する島B3に対し、同一の陸地の別の行政単位Fから橋が架けられた場合、本土Bと島B3は行政単位Fを経由して連絡することになるため、飛地と呼べる可能性がある。実例として長崎県松浦市の福島があげられる。福島には境界線はなく、基本原則にあてはめれば飛地ではない。しかし、1967年に福島と佐賀県伊万里市の間に橋がかけられた。これにより本土と離島との行き来が可能となったが、この経路を使う場合、伊万里市を通らねばならない。なお、2008年時点で、陸路・海路とも、福島と伊万里市を結ぶ交通手段はあるが、福島と松浦市は直接結ばれていない[2]。このほか、大鳴門橋開通(1985年)から明石海峡大橋開通(1998年)までの期間における淡路島なども、所属する兵庫県側ではなく四国側のみ橋で繋がっていた例としてあげられる。
対岸飛地
本土と海峡や川などによって分断されているだけの領域も飛地である可能性がある。例えば、千葉県野田市は、利根川右岸が本土であるが、木野崎地区が利根川を越えて左岸側にもかかっている。この野田市の利根川左岸の領域は、飛地と呼べる可能性がある。しかし、仮定の話ではあるが、もしも、この利根川左岸の領域が、本土と橋などで連絡した場合は、これを飛地として扱うかは意見の分かれるところである。
二重飛地・三重飛地
主に内陸部の飛地において発生しうる現象が二重飛地である。ある行政単位Eの飛地が、E近傍の別の行政単位Hの領域の内部にあるとする。このHの内部にあるEの飛地E1のさらに内部にHの領地H3が存在する場合がある。その場合、領地H3は「飛地に周囲を囲まれた飛地」であり、二重飛地と呼ばれる[2]。例としては、大阪府・兵庫県の大阪国際空港内における、豊中市内部にある池田市の飛地の内部にある豊中市の二重飛地、オマーンのマダ内に位置するアラブ首長国連邦のナワなどがある。
また、上述の「Hの内部にあるEの飛地E1のさらに内部に、Hの二重飛地H2」があり、さらにそのH2の領域に完全に囲まれる形でEの領地E2が存在する場合、「飛地の中の飛地の中の飛地」、すなわち三重飛地となる。三重飛地の実例はインドのダハラ・カグラバリが世界唯一とされるが、すでに解消されている。
封建制下においては、同一の君主の所領が各所に分散していることは珍しくなかった。国民国家形成の際に旧来の領邦の境界を引き継ぐこともあり、その際に領土や行政区画に飛地が残ったという事例がヨーロッパ・インド・日本に多いようである。
その他
その他の要因としては以下のようなものがある。
- 河川の流路変更によるもの(アメリカ合衆国ホーコン・トラクトなど)。
- 境界線を策定した際に、陸地の形と無関係に緯度・経度などを一律に基準としたため、海や湖に阻まれて行き来できない場所が飛び地化したもの(アメリカ合衆国ポイントロバーツ、エルム・ポイントなど)。
- 境界線を策定した際に、住民の民族や宗教を基準としたため発生したもの(ガザ地区、ナヒチェヴァン自治共和国、東パキスタン(現バングラデシュ)など)。
- 領土の買収によるもの(アメリカ合衆国アラスカ州など)。
- 貿易・防衛拠点として確保した後、周囲の国に返還されなかったもの(スペインのセウタ、イギリスのジブラルタルなど)。
- 領土の一部が他国に併合されるもしくは独立により発生したもの(ブルネイのテンブロン地区、東プロイセン、ロシア連邦のカリーニングラード州など)。
- 隣接しない国家・市町村の合併により発生したもの(アラブ連合共和国、アラブ共和国連邦など)。
- 入植地(新田など)。
- 集落ごとの入会地設定やため池の設置、回廊地帯の設置などによるもの。
備考
上記のようにして形成されたものの多くは、飛地と呼ばれる。しかし、植民地の場合には、領土という観点では飛地であっても、飛地と呼ばないのが普通である。例えば、かつてのインドはイギリスの飛地であるとはいえない[1]。
また、上記のように、飛地は生成される一方で、解消されたり、再生成されたりする動きもある。例えば、日本では、住居表示の実施、土地区画整理等に伴う行政区画の変更、市町村合併などにより、飛地は次第に解消される場合もあるが、合併交渉の破綻により細分化される事例もある。また、行政側が飛地の解消を望んでいたとしても住民が民族的・歴史的経緯などから反発する場合や、逆に住民側が望んでいても行政側が政治上の理由によって解消を拒否する場合などがあり、単純に関係地域の合併交渉だけで解消につながるものではない事例が多い。
ここでは領土の飛地を挙げる。在外公館などの、他国の領土内で治外法権が認められた領域は領土に相当しない。軍事基地に関しては、アクロティリおよびデケリアのような、基地設置国の領土となっている場合もあるが、在外米軍基地のような多くの外国軍基地は治外法権領域である。また、占領も領有とは異なり、占領国の領土に編入されていない占領地も領土の飛地ではない。
- アゼルバイジャン
- ナヒチェヴァン自治共和国 - 北東にアルメニア、南西にイラン(東アゼルバイジャン州、西アゼルバイジャン州)が隣接
- カルキ(英語版) - 飛地であるナヒチェヴァン自治共和国・サダラク県(英語版)に属する村。周囲はアルメニア・アララト地方で、1992年以降アルメニアが実効支配している。
- ユカリ・アスキパラ(英語版)(アルメニア語名Verin Voskepar)、バルクダルリ(英語版) - どちらもガザフ県の村。アルメニア・タヴシュ地方に囲まれており、カルキと同じくナゴルノ・カラバフ紛争時にアルメニアが占領。
- アルゼンチン
- マルティン・ガルシア島 - アルゼンチンとウルグアイの国境となっているラプラタ川の河口にあり、ウルグアイの領海内に位置する。
- アルメニア
- アメリカ合衆国
- アラスカ州 - 北米大陸の西北端であるこの地は、かつてロシア領アメリカだったが、1867年にアメリカへ売却され(アラスカ購入)、カナダ(当時は英領)を挟んだアメリカの飛地となった。
- ポイントロバーツ - カナダのブリティッシュコロンビア州南端に位置するロバーツ岬の先端部だけがアメリカ合衆国ワシントン州に属する。これは、アメリカとカナダ(当時はイギリスの植民地)が北緯49度を国境線と決めたため、49度線より南に飛び出した岬の先端部分のみがアメリカ領になったもの。
- エルム・ポイント - ウッズ湖に面した先端部だけがアメリカ合衆国ミネソタ州に属する。これもポイントロバーツ同様、北緯49度を国境線と定めた際に飛地が形成された。付近に次項のノースウエスト・アングルが存在する。
- ミネソタ州レッドレイク・インディアン居住区(英語版)(ノースウエスト・アングル)- 周囲はカナダとウッズ湖。
- プロビンス岬 - シャンプレーン湖に突き出した先端部のみがアメリカ合衆国バーモント州に属する。
- プロビンス島 - メンフレマゴグ湖(英語版)に浮かぶ島。大半がケベック州マゴグに属するが、南端の一角のみバーモント州オーリンズ郡に属する。
- アラブ首長国連邦
- ナワ - 周囲はオマーン領のマダ。マダも飛地であるため二重飛地(飛地の中の飛地)である。なお、この連邦内東部には、各首長国の領域が混在しており、フジャイラやラアス・アル=ハイマ首長国の主たる領域が分断されているなど、飛地がいくつか存在する。
- アンゴラ
- イギリス
- イタリア
- カンピョーネ・ディターリア - 周囲はスイス、ルガーノ湖に面する。
- ウズベキスタン
- オマーン
- オランダ / ベルギー
- スペイン
- タジキスタン
- 東ティモール
- オエクシ=アンベノ - 周囲はインドネシア(東ヌサ・トゥンガラ州)、北はサヴ海。
- ドイツ
- パレスチナ
- ブルネイ
- マラウイ
- ロシア
- カリーニングラード州 - 北にリトアニア、南にポーランド(ヴァルミア=マズールィ県)が隣接する。
- メドヴェジエ、サニコヴォ - 周囲はベラルーシ。チェルノブイリ原子力発電所事故により現在は無人[3]。
過去に飛地だった地域
- アメリカ合衆国
- アラブ連合共和国
- イスラエル
- インド/ バングラデシュ
- インド・バングラデシュ国境の飛地群 - インド・バングラデシュ双方の飛地が複雑かつ大量に交錯する地帯で、両国合わせて224か所の飛び地が存在した。その内24か所が二重飛び地であり、中でもインド領であったダハラ・カグラバリ [注 1] は、「バングラデシュ領内にあるインド領の中のバングラデシュ領の、さらに中にあるインド領」となっていて世界唯一の三重飛地であった。2011年9月から始まったインド、バングラデシュ両政府の協議により2015年5月6日に国境画定協定の合意がなされ、すべての飛び地は解消した[注 2]。
- オマーン
- クロアチア
- ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の大部分 - 元々は、ユーゴスラビアの構成国のボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国におけるクロアチア社会主義共和国の飛地という一国の行政単位上の飛地であったが、ユーゴスラビア解体によりそのまま国家間の飛地になった。2022年にクロアチア主要部と同地域を直接結ぶペリェシャツ橋が開通し、陸続きとなったことにより解消。
- スイス
- 韓国
- ドイツ国 / プロイセン王国
- 東プロイセン - ホーエンツォレルン家が治めるブランデンブルク選帝侯領とプロイセン公国(のちの東プロイセン)が、17世紀に段階的に統一国家プロイセン王国となり、飛地化。1772年、第一次ポーランド分割により間のポーランド領がプロイセン領西プロイセンとなり解消するが、第一次世界大戦によりかつての西プロイセンはポーランド回廊としてポーランド領となり、東プロイセンは再び飛地化。第二次世界大戦中はポーランド西部がドイツに併合され、再度解消。第二次世界大戦後、東プロイセンは隣接するポーランドとソビエト連邦に二分して割譲され、国家単位では飛地とはならなかったが、ソビエト連邦領は隣接するリトアニアではなくロシア共和国の一部とされたため、連邦内共和国単位で飛地となった。
ソビエト連邦崩壊によってリトアニアが正式に独立した後は、ロシア連邦の飛地「カリーニングラード州」となり、再び国家単位の飛び地として復活した。
- 東プロイセン - ホーエンツォレルン家が治めるブランデンブルク選帝侯領とプロイセン公国(のちの東プロイセン)が、17世紀に段階的に統一国家プロイセン王国となり、飛地化。1772年、第一次ポーランド分割により間のポーランド領がプロイセン領西プロイセンとなり解消するが、第一次世界大戦によりかつての西プロイセンはポーランド回廊としてポーランド領となり、東プロイセンは再び飛地化。第二次世界大戦中はポーランド西部がドイツに併合され、再度解消。第二次世界大戦後、東プロイセンは隣接するポーランドとソビエト連邦に二分して割譲され、国家単位では飛地とはならなかったが、ソビエト連邦領は隣接するリトアニアではなくロシア共和国の一部とされたため、連邦内共和国単位で飛地となった。
- プロイセン王国
- 西ドイツ
- パキスタン
- パナマ
- 南アフリカ共和国