飛騨郡代
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飛騨郡代(ひだぐんだい)とは、江戸時代に4ヶ所設置された郡代の一つ。飛騨国全域ならびに美濃国の山間部、越前国および加賀国の一部に所在した幕府直轄領の民治を司る行政官であり代官である。勘定奉行支配で席次は西国郡代に次ぎ、焼火間詰。役高は四百俵。
1588年(天正16年)より飛騨国一円は飛騨高山藩金森氏によって治められてきたが、1692年(元禄5年)幕府は当時の藩主金森頼旹を出羽国上山藩へ移封し、飛騨国を幕府領とした。これは幕府が飛騨の豊富な木材資源と鉱物資源(金・銀・銅・鉛など)に着目し、幕府財政の安定を図る目的があったと考えられている。以後、高山城を廃城とし、高山城の下屋敷を高山陣屋として行政を行なった。
支所としては、美濃国(郡上郡・加茂郡・恵那郡)の幕府領を所管した下川辺出張陣屋(岐阜県加茂郡川辺町)と、越前国ならびに加賀国の幕府領を所管した本保出張陣屋(福井県越前市)があった。
配下には手付、手代として江戸詰11名、高山詰9名のほか、木材の管理を担った地役人として材木改役8名、同下役10名、運上改役5名、山廻役12名、口留番役12名が置かれた。
1777年(安永6年)、郡代に昇格。以降明治維新までに14代の郡代が派遣されている(郡代昇格前の代官は11代派遣されており、それを合わせると25代)。