鳴海 (砲艦)
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鳴海 (なるみ)[4] は、日本海軍の砲艦[2]。 前身はイタリア海軍の砲艦「エルマーノ・カルロット(Ermanno Carlotto)」[1]。 艦名は都市・名勝名で東海道五十三次の宿場で鳴海宿(現在の名古屋市緑区にある)がある[6]。 また近くの海を鳴海潟と呼び、そこで歌われた古歌から太田道灌が勝機をつかんだという故事があるという[6]。
概要 鳴海, 基本情報 ...
鳴海 | |
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基本情報 | |
建造所 | 上海ドック&エンジニアリング社(上海)[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 砲艦[2] |
母港 | 佐世保[3] |
艦歴 | |
起工 | 1919年 |
進水 | 1921年2月28日 |
竣工 | 1921年[1] |
除籍 | 1947年5月3日[1] |
その後 | 1945年9月国府が接収[1] |
改名 |
イタリア艦時:Ermanno Cariotto[1] 日本海軍:鳴海[4] 中国時:江鯤[1] |
要目 | |
基準排水量 | 180トン |
垂線間長 | 48.80m |
最大幅 | 7.50m |
吃水 | 0.70m |
ボイラー | ヤーロー式重油専焼水管缶 2基 |
主機 | レシプロ機関 2基 |
推進 | 2軸 |
出力 | 1,100馬力 |
速力 | 14.0ノット |
燃料 | 重油:56トン |
乗員 | 1943年11月1日定員:56名[5] |
兵装 |
整備完成時[1] 40口径三年式8cm単装砲 1門 機銃 3挺 |
注記の無い要目はイタリア海軍時[1] | |
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