麻酔
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この項目では、麻酔全般について説明しています。医学分野の一つとしての麻酔科学については「麻酔科学」を、日本における医師の専門の一つとしての麻酔科医については「麻酔科医」を、渡辺淳一の小説については「麻酔 (小説)」をご覧ください。 |
麻酔(ますい)とは、ヒトまたは動物を対象として誘発される、感覚または意識の制御された一時的な喪失の状態を指す。
麻酔には、鎮痛(痛みの緩和または防止)、不動化(筋肉の弛緩)、健忘(記憶の喪失)、および意識消失、これら4つの要素の一部または全部が含まれる[1][注釈 1]。麻酔薬の作用下にある個体は、「麻酔がかかっている」と呼ばれる。
麻酔をかけないと耐えられないような強い痛みを伴う処置や、技術的に不可能な処置も、麻酔をかければ痛みを感じさせずに行うことができる。麻酔は、意識消失の深さにより、3つの種類に分類される。
- 全身麻酔は、注射や吸入の薬剤を用いて中枢神経系の活動を抑制し、意識を失わせて全感覚をなくさせるものである。
- 鎮静は中枢神経系への抑制が全身麻酔よりは軽いため、意識消失まで陥ることはなく、何らかの反応がある状態である。不安や長期記憶の形成を抑制することができる。
- 区域麻酔(広義の局所麻酔):意識消失を伴わず、身体の特定部位からの神経伝達を遮断するものである。状況に応じて、単独で(この場合、患者の意識は完全に保たれる)、または全身麻酔や鎮静と組み合わせて行われる。例えば、歯の治療のために歯の感覚を麻痺させたり、手足全体の感覚を抑制するために神経ブロックを用いるなど、薬剤の標的を末梢神経として、身体の一部分にのみ麻酔をかけることができる。また、硬膜外麻酔や脊髄くも膜下麻酔は、脊髄周辺(英語版)そのものに作用し、ブロックした部位に供給される神経から入ってくる感覚をすべて遮断することができる[2]。
医学的(または獣医学的)処置の準備に際して、医師は、処置の種類および特定の患者に適した麻酔の種類および麻酔深度を達成するために、薬剤を選択する。用いられる薬剤の種類には、全身麻酔薬、局所麻酔薬、催眠薬[注釈 2]、解離性麻酔薬、鎮静薬、神経筋遮断薬、麻薬、鎮痛薬などがある。
麻酔中あるいは麻酔後の合併症のリスクは、麻酔を行う手技のリスクと切り離すことが難しい場合が多いものの、主に、患者の手術前の健康状態、手技自体の複雑さとストレス、麻酔手技の3つの要因に関連していると言われている。これらの要因のうち、最も大きな影響を及ぼすのは患者の健康状態である[3]。周術期の重大なリスクとしては、死亡、心筋梗塞、肺塞栓症などがあるが、軽微なリスクとしては、術後の吐き気や嘔吐、再入院(英語版)などがある。局所麻酔薬の毒性、気道外傷、悪性高熱症など、より直接的に特定の麻酔薬や処置に起因する症状もある。
麻酔の起源は全身麻酔と局所麻酔とで異なる。全身麻酔下手術は中国の華佗が行ったことは『三国志』魏書に残されているが、処方である麻沸散の記録は残っていない。1804年、日本の華岡青洲が全身麻酔下手術に成功した。彼は150件以上の全身麻酔下手術を行い、多数の記録を残した。用いられた処方名は華沱と同じ麻佛散である。しかし、江戸幕府の鎖国政策により、青洲の業績は当時、世界に知られることは無かった。現代の全身麻酔の直接的な源流となったのは、1846年にアメリカの歯科医ウィリアム・T・G・モートンが用いたジエチルエーテル、1847年にイギリスの産科医ジェームズ・シンプソンが用いたクロロホルム、それぞれによる全身麻酔下手術である。失敗に終わったものの、1845年のアメリカの歯科医ホーレス・ウェルズによる亜酸化窒素のヒトに対する公開実験も特筆すべきであり、この3年間に重要な麻酔科学上の発見が相次いだ。
局所麻酔薬の起源はインカ帝国で先住民が用いていたコカに由来する。近代医学への応用は全身麻酔よりも遅く、コカから単離されたコカインを用いて、1884年にドイツの眼科医カール・コラー(英語版)が眼科手術を行ったのが最初の局所麻酔とされる。1903年にアメリカの脳神経外科医ハーヴェイ・クッシングは術中にはじめて血圧を測定して、麻酔記録を記載し、全身麻酔と局所麻酔を組み合わせて手術に用いた。複数の麻酔法、麻酔薬を組み合わせることで最適な麻酔を達成することは後世バランス麻酔(英語版)と呼ばれるようになり、現代の麻酔法の礎となっている。