1156年 - Wikiwand
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1156年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

千年紀: 2千年紀
世紀: 11世紀 - 12世紀 - 13世紀
十年紀: 1130年代 1140年代 1150年代 1160年代 1170年代
: 1153年 1154年 1155年 1156年 1157年 1158年 1159年

1156年(1156 ねん)は、西暦ユリウス暦)による、閏年

他の紀年法

この節は、ウィキプロジェクト 紀年法のガイドラインに基づいて記述されています。この節に大きな変更を加える場合には、あらかじめ上記プロジェクトのノートで提案し、合意を形成してください。 凡例 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。

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できごと

日本

  • 1月10日久寿2年12月16日)- 高陽院が崩御する。
  • 3月27日(久寿3年3月5日)- 皇太子守仁親王美福門院の娘姝子内親王と結婚する。
  • 5月18日(久寿3年4月27日)- 保元と改元される。
  • 6月20日(保元元年6月1日)あるいは翌日 - 鳥羽法皇が鳥羽の安楽寿院殿で危篤に陥る。
  • 6月22日(保元元年6月3日)- 夜、崇徳上皇が鳥羽法皇のもとに御幸するが、会えずに即日還御する。
  • 7月20日(保元元年7月2日)- 鳥羽法皇が崩御し、即日納棺と埋葬が行われる。崇徳上皇は臨終に立ち会えず、鳥羽の田中殿に留まる。
  • 7月26日(保元元年7月8日)- 高松殿内裏の朝廷が、源義朝(従五位下)らに東三条院を武力占拠させ、左大臣藤原頼長の所有にかかる家宝を奪い取る。同所で祈禱していた平等院の僧勝尊が調伏の容疑で逮捕され、事情聴取のため頼長に仕える平忠正源頼憲も出頭を命じられるが、両人はこれを拒否する。
  • 7月27日(保元元年7月9日)- 夜、上皇が田中殿を出て白河の前斎院御所に入る。
  • 7月28日(保元元年7月10日)- 父藤原忠実の宇治の邸にいた頼長のもとに、朝廷から使いが来て平忠正と源頼憲を出頭させるよう求める。上皇は前斎院御所の南にある白河北殿に移り軍兵を召集、源為義とその息子たちが来る。夕方、頼長が宇治から白河北殿に到着する。夜、高松殿内裏に源義朝や平清盛が兵を連れて参集し、後白河天皇の御前で関白藤原忠通信西と作戦会議をする。
  • 7月29日(保元元年7月11日)- 未明、上皇のいる白河北殿へ朝廷方が夜討ちをかける(=保元の乱)。午後、戦闘が終結すると、「藤原忠通を藤原氏長者に任命する」旨の宣旨が下る。
  • 8月5日(保元元年7月18日)- 「本来没収すべき藤原忠実の宇治の所領を、その子忠通に任せる」という綸旨が下る。
  • 8月6日(保元元年7月19日)- 忠通が藤原氏長者任命の宣旨を受諾する。
  • 8月7日(保元元年7月20日)- 奈良に逃げていた忠実が自分の所領や故高陽院名義の所領を忠通に譲る。

誕生

死去


関連項目

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