1971年イタリアグランプリ - Wikiwand
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1971年イタリアグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

イタリア 1971年イタリアグランプリ
レース詳細
1971年F1世界選手権全11戦の第9戦
日程 1971年9月5日
正式名称 42o Gran Premio d'Italia[1]
開催地 モンツァ・サーキット
イタリア モンツァ
コース 恒久的レース施設
コース長 5.750 km (3.573 mi)
レース距離 55周 316.25 km (196.515 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)[2]
ポールポジション
ドライバー マトラ
タイム 1:22.4
ファステストラップ
ドライバー
アンリ・ペスカロロ
マーチ-フォード
タイム 1:23.8 (9周目)
決勝順位
優勝 BRM
2位 マーチ-フォード
3位 ティレル-フォード

1971年イタリアグランプリ (1971 Italian Grand Prix) は、1971年のF1世界選手権第9戦として、1971年9月5日モンツァ・サーキットで開催された[3]

優勝したピーター・ゲシンと2位のロニー・ピーターソンとの差はわずか0.01秒で、F1史上最も僅差でフィニッシュしたレースである[注 1]。上位5台の差もわずか0.61秒で、フランソワ・セベールが3位、マイク・ヘイルウッドが4位、ハウデン・ガンレイが5位となった。

背景

コンストラクターズランキング首位のティレルは2位のフェラーリに19点差を付けているが、フェラーリに乗るいずれかのドライバーが5位以内に入賞できなければ、ティレルが初のコンストラクターズチャンピオンを獲得する[注 2][4]

レース前

前戦オーストリアGPの翌週8月22日オウルトン・パークで行われた非選手権レースのインターナショナル・ゴールドカップ英語版は、サーティースのオーナー兼ドライバーであるジョン・サーティースが優勝した[5]

エントリー

フェラーリはこの年、312B2ファイアストンタイヤの相性の悪さに起因するタイヤの振動を抑えられず[6]、シーズン中盤以降ティレルはおろか、マーチBRMにも遅れを取るようになった[7]。前戦オーストリアGPで惨敗を喫した後、エンツォ・フェラーリはこのまま著しい進歩が望めないなら、モンツァはあえて出場を見合わせるようにと技術スタッフに指示し始めたほどであった。開発責任者のマウロ・フォルギエリはシリンダーヘッドを若干改良し、最高出力を落とさずに効率よくトルクを引き出そうとした。主催者も何とかフェラーリを出場させようとエンツォを説得した。エースのジャッキー・イクスは旧型312Bで出場したいという意思を貫き、312Bを走らせることになった。さらに、エンツォ個人の要請によってライバルのグッドイヤータイヤを試験的に装着したことで、ファイアストンの怒りを買った。チームメイトのクレイ・レガツォーニは従来どおり312B2を走らせる[8]

チーム・ロータスとイタリア当局の間には、前年のイタリアGPで事故死したヨッヘン・リントの件についていくつかの法的な問題が残されていたため「チーム・ロータス」としては本レースを欠場し、コーリン・チャップマンもモンツァには来なかった。代わってロータスのスポーツディレクターを務めるピーター・ウォーが所有する「ワールドワイド・レーシング」によって参加することになった。マシンは四輪駆動でかつプラット・アンド・ホイットニーガスタービンエンジンを搭載した56Bで、カラーリングも本来使用する「ゴールドリーフ」の赤・白・金ではなく金と黒に塗られ、エマーソン・フィッティパルディのみ参加した[4][5]。なお、フィッティパルディにとってフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載しないマシンで走った生涯唯一のF1世界選手権レースとなった[9]

マクラーレンはエースのデニス・ハルムUSACチャンピオンシップ[注 3]の出場を優先したため欠場し、ジャッキー・オリバーのみ参加する。前戦オーストリアGPを欠場したマトラは吸気ダクトと潤滑システムを改良した新たなエンジンを投入して戻ってきた[4]。ただし、ジャン=ピエール・ベルトワーズは1月に行われたブエノスアイレス1000kmレース英語版の事故の責任をCSI[注 4]に問われて出場停止中[10]だったため、クリス・エイモンのみ参加する[4]サーティースロードレース世界選手権の元チャンピオンであるマイク・ヘイルウッドを3台目のドライバーに起用した。ヘイルウッドは1965年モナコGP以来6年ぶりのF1復帰となる。新人ジャン=ピエール・ジャリエシェルの支援を受け、古いマーチ・701で参加する。シルビオ・モーザーは前年走らせたベラシ英語版を1年ぶりに参加させる。この他、ヘルベルト・ミューラーロータス・72カルロス・パーチェウィリアムズからマーチ・701フランソワ・マゼ英語版ジョー・シフェールのチームからマーチ・701でそれぞれエントリーされていたが、参加には至らなかった[4]

エントリーリスト

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
エルフ・チーム・ティレル
2
フランソワ・セベール
ティレル 002 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
30
ジャッキー・スチュワート
003
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC
3
ジャッキー・イクス
フェラーリ 312B フェラーリ 001 3.0L F12 F
4
クレイ・レガツォーニ
312B2 フェラーリ 001/1 3.0L F12
ワールドワイド・レーシング
5
エマーソン・フィッティパルディ
ロータス 56B プラット&ホイットニー STN76 tbn F
ビリガー・シガー・チーム・ヘルベルト・ミューラー
6
ヘルベルト・ミューラー 1
ロータス 72 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
ブルックボンド・オクソ・チーム・サーティース
7
ジョン・サーティース
サーティース TS9 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
アウト・モトール・ウント・シュポルト・チーム・サーティース
8
ロルフ・シュトメレン
チーム・サーティース
9
マイク・ヘイルウッド
モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド
10
グラハム・ヒル
ブラバム BT34 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
11
ティム・シェンケン
BT33
エキップ・マトラ・スポール
12
クリス・エイモン
マトラ MS120B マトラ MS71 3.0L V12 G
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング
14
ジャッキー・オリバー
マクラーレン M14A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ
15
カルロス・パーチェ 1
マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
16
アンリ・ペスカロロ
711
ヤードレー・チーム・BRM
18
ピーター・ゲシン
BRM P160 BRM P142 3.0L V12 F
19
ハウデン・ガンレイ
20
ジョー・シフェール
21
ヘルムート・マルコ
P153
STP・マーチ・レーシングチーム
22
ナンニ・ギャリ
マーチ 711 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
25
ロニー・ピーターソン
23
アンドレア・デ・アダミッチ
アルファロメオ T33 3.0L V8
クラーク=モーダウント=ガスリー・レーシング
24
マイク・ボイトラー
マーチ 711 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
シェル・アーノルド・チーム
26
ジャン=ピエール・ジャリエ
マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
ジョリークラブ・スウィツァランド
27
シルビオ・モーザー
ベラシ F1 70 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
エキュリー・ボニエ
28
ヨアキム・ボニエ
マクラーレン M7C フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
ジョー・シフェール・オートモビルズ
29
フランソワ・マゼ 2
マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
ソース:[11]
追記
  • ^1 - マシンが準備できず欠場[12]
  • ^2 - マゼはエントリーのみ[12]

予選

高速サーキットのモンツァは12気筒エンジンに分があり、マトラクリス・エイモンポールポジションを獲得し、フェラーリジャッキー・イクスが2番手でフロントローBRMジョー・シフェールハウデン・ガンレイが2列目に並んだ。V8エンジン勢のトップはフランソワ・セベールティレル)の5番手で、以下、ロニー・ピーターソンマーチ)、ジャッキー・スチュワート(ティレル)、クレイ・レガツォーニ(フェラーリ)、ティム・シェンケンブラバム)、アンリ・ペスカロロウィリアムズ/マーチ)がトップ10に入った[5]。23番手のロルフ・シュトメレンはクラッシュでマシンが大きく損傷し、決勝までに修復するのは不可能だったため、決勝に出走しなかった[4]

予選結果

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 12
クリス・エイモン
マトラ 1:22.40 - 1
2 3
ジャッキー・イクス
フェラーリ 1:22.82 +0.42 2
3 20
ジョー・シフェール
BRM 1:23.03 +0.63 3
4 19
ハウデン・ガンレイ
BRM 1:23.15 +0.75 4
5 2
フランソワ・セベール
ティレル-フォード 1:23.41 +1.01 5
6 25
ロニー・ピーターソン
マーチ-フォード 1:23.46 +1.06 6
7 30
ジャッキー・スチュワート
ティレル-フォード 1:23.49 +1.09 7
8 4
クレイ・レガツォーニ
フェラーリ 1:23.69 +1.29 8
9 11
ティム・シェンケン
ブラバム-フォード 1:23.73 +1.33 9
10 16
アンリ・ペスカロロ
マーチ-フォード 1:23.77 +1.37 10
11 18
ピーター・ゲシン
BRM 1:23.88 +1.48 11
12 21
ヘルムート・マルコ
BRM 1:23.96 +1.56 12
13 14
ジャッキー・オリバー
マクラーレン-フォード 1:24.09 +1.69 13
14 10
グラハム・ヒル
ブラバム-フォード 1:24.27 +1.87 14
15 7
ジョン・サーティース
サーティース-フォード 1:24.45 +2.05 15
16 24
マイク・ボイトラー
マーチ-フォード 1:25.01 +2.61 16
17 9
マイク・ヘイルウッド
サーティース-フォード 1:25.17 +2.77 17
18 5
エマーソン・フィッティパルディ
ロータス-プラット&ホイットニー 1:25.18 +2.78 18
19 22
ナンニ・ギャリ
マーチ-フォード 1:25.19 +2.79 19
20 23
アンドレア・デ・アダミッチ
マーチ-アルファロメオ 1:25.78 +3.38 20
21 28
ヨアキム・ボニエ
マクラーレン-フォード 1:26.14 +3.74 21
22 27
シルビオ・モーザー
ベラシ-フォード 1:26.54 +4.14 22
23 8
ロルフ・シュトメレン
サーティース-フォード 1:27.92 +5.52 23
24 26
ジャン=ピエール・ジャリエ
マーチ-フォード 1:28.19 +5.79 24
ソース:[13][14][15]

決勝

5人のドライバーが1秒以内にフィニッシュラインを超え、チェッカーフラッグを受けた。
5人のドライバーが1秒以内にフィニッシュラインを超え、チェッカーフラッグを受けた。

レースは夏の太陽と暑さの下で行われた[4]

全車がスターティンググリッドに停止していなかったが、スターターによりスタートフラッグが振られた[4][注 5]クレイ・レガツォーニが4列目から抜け出して首位に躍り出るが、序盤からレガツォーニ、ロニー・ピーターソンジャッキー・スチュワートフランソワ・セベールジョー・シフェールジャッキー・イクスハウデン・ガンレイピーター・ゲシンによるスリップストリーム合戦が始まり、目まぐるしく順位が入れ替わる。16周目にスチュワートとイクスがエンジントラブルでリタイアし、2周後にはレガツォーニもエンジントラブルでリタイアする。彼らに代わってマイク・ヘイルウッドクリス・エイモンが先頭集団に加わった。シフェールはオーバーヒートに苦しむ中で首位に立ったが、ギアボックスの異常により先頭集団から脱落し、エイモンもバイザーを失い、オーバーヒートに悩まされて脱落した。先頭集団に残った5台によるスリップストリーム合戦は最後まで繰り広げられ[5]、首位が25回も入れ替わる大混戦を制したのは、最後の最後で首位に立ったゲシンだった。ゲシンと2位ピーターソンの差は0.01秒というF1史上最も僅差で[注 1]初勝利を挙げ、ゲシンと0.09秒差の3位セベール、同じく0.18秒差の4位ヘイルウッド、同じく0.61秒差の5位ガンレイまで一塊となってチェッカーフラッグを受けた[16]。ゲシンにとってこれがF1世界選手権における唯一の優勝であり[17]イングランド出身のドライバーが優勝するのは1975年オランダGP英語版ジェームス・ハントまで4年間なかった[18][注 6]

優勝したゲシンの平均速度は242.616 km/h (150.755 mph)でF1史上最速記録を更新し[4]2003年イタリアGPで優勝したミハエル・シューマッハが247.585 km/h (153.842 mph)を記録するまで32年間破られなかった[19]。なお、翌1972年からシケインが2ヶ所に設けられたため[20]、シケインがないモンツァで行われた最後のF1世界選手権レースとなった[21]

セベールが3位に入賞したことにより、ティレルはF1フル参戦初年度[注 7]にして初のコンストラクターズチャンピオンを決めた[4]

レース結果

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 18
ピーター・ゲシン
BRM 55 1:18:12.60 11 9
2 25
ロニー・ピーターソン
マーチ-フォード 55 +0.01 6 6
3 2
フランソワ・セベール
ティレル-フォード 55 +0.09 5 4
4 9
マイク・ヘイルウッド
サーティース-フォード 55 +0.18 17 3
5 19
ハウデン・ガンレイ
BRM 55 +0.61 4 2
6 12
クリス・エイモン
マトラ 55 +32.36 1 1
7 14
ジャッキー・オリバー
マクラーレン-フォード 55 +1:24.83 13
8 5
エマーソン・フィッティパルディ
ロータス-プラット&ホイットニー 54 +1 Lap 18
9 20
ジョー・シフェール
BRM 53 +2 Laps 3
10 28
ヨアキム・ボニエ
マクラーレン-フォード 51 +4 Laps 21
Ret 10
グラハム・ヒル
ブラバム-フォード 47 ギアボックス 14
NC 26
ジャン=ピエール・ジャリエ
マーチ-フォード 47 規定周回数不足 24
Ret 24
マイク・ボイトラー
マーチ-フォード 41 エンジン 16
Ret 16
アンリ・ペスカロロ
マーチ-フォード 40 サスペンション 10
Ret 23
アンドレア・デ・アダミッチ
マーチ-アルファロメオ 33 エンジン 20
Ret 4
クレイ・レガツォーニ
フェラーリ 17 エンジン 8
Ret 3
ジャッキー・イクス
フェラーリ 15 エンジン 2
Ret 30
ジャッキー・スチュワート
ティレル-フォード 15 エンジン 7
Ret 22
ナンニ・ギャリ
マーチ-フォード 11 電気系統 19
Ret 11
ティム・シェンケン
ブラバム-フォード 5 サスペンション 9
Ret 27
シルビオ・モーザー
ベラシ-フォード 5 サスペンション 22
Ret 21
ヘルムート・マルコ
BRM 3 エンジン 12
Ret 7
ジョン・サーティース
サーティース-フォード 3 エンジン 15
DNS 8
ロルフ・シュトメレン
サーティース-フォード 0 予選でアクシデント 23
ソース:[22]
優勝者ピーター・ゲシンの平均速度[12]
242.616 km/h (150.755 mph)
ファステストラップ[23]
ラップリーダー[24]
太字は最多ラップリーダー
達成された主な記録[4]

第9戦終了時点のランキング

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ a b 当時はまだ1/100秒単位までしかタイム計測が行われていなかったため、現在の1/1000秒単位による計測で最も僅差の2002年アメリカGPの0.011秒(優勝ルーベンス・バリチェロ、2位ミハエル・シューマッハ)の方がF1史上最も僅差である可能性がある。 (2018年アゼルバイジャンGP終了時点) All-Time F1 Records”. Formula One Art & Genius. 2020年3月15日閲覧。
  2. ^ 当時のF1世界選手権ポイントシステムは、上位6台に9-6-4-3-2-1点が与えられていた。コンストラクターズポイントは最上位入賞者のみが対象となる。
  3. ^ 現在のインディカー・シリーズの前身にあたる。
  4. ^ 1978年に国際自動車スポーツ連盟(FISA)に改編され、1993年に国際自動車連盟(FIA)へ吸収された。
  5. ^ 当時はスターターが国旗を振るのがスタートの合図だった。
  6. ^ イングランド出身以外のドライバーを除く。例としてスチュワートはスコットランド出身のため除外。
  7. ^ ティレルチームとしての初参戦は前年(1970年)であったが、マーチシャシーを使用した。自製マシンによる参戦開始は同年の第11戦カナダGPで、終盤3戦のみであった。

出典

  1. ^ Motor Racing Programme Covers: 1971”. The Programme Covers Project. 2017年11月13日閲覧。
  2. ^ (林信次 1993, p. 116)
  3. ^ 1971 Italian Grand Prix Entry list. http://www.racingsportscars.com/covers/_Monza-1971-09-05e.jpg. 
  4. ^ a b c d e f g h i j k Italy 1971”. STATS F1. 2020年3月16日閲覧。
  5. ^ a b c d Italian GP, 1971”. grandprix.com. 2020年3月16日閲覧。
  6. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 263)
  7. ^ (林信次 1993, p. 17)
  8. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 265-266)
  9. ^ 戦績:E.フィッティパルディ”. F1 DataWeb. 2020年3月20日閲覧。
  10. ^ Britain 1971”. STATS F1. 2020年2月9日閲覧。
  11. ^ Italy 1971 - Race entrants”. STATS F1. 2020年3月17日閲覧。
  12. ^ a b c Italy 1971 - Result”. STATS F1. 2020年3月21日閲覧。
  13. ^ Pritchard, Anthony (1972). The Motor Racing Year No3. ISBN 0393085023 
  14. ^ Italy 1971 - Qualifications”. STATS F1. 2020年3月18日閲覧。
  15. ^ Italy 1971 - Starting grid”. STATS F1. 2020年3月18日閲覧。
  16. ^ (林信次 1993, p. 22)
  17. ^ 戦績:P.ゲシン”. F1 DataWeb. 2020年3月20日閲覧。
  18. ^ United Kingdom - Wins”. STATS F1. 2020年3月20日閲覧。
  19. ^ Fastest races and laps ever”. Autosport (2003年9月14日). 2016年1月9日閲覧。
  20. ^ Monza”. Racingcircuits.info. 2020年3月20日閲覧。
  21. ^ Monza”. STATS F1. 2020年3月20日閲覧。
  22. ^ 1971 Italian Grand Prix”. formula1.com. 2014年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月22日閲覧。
  23. ^ Italy 1971 - Best laps”. STATS F1. 2020年3月21日閲覧。
  24. ^ Italy 1971 - Laps led”. STATS F1. 2020年3月21日閲覧。
  25. ^ 戦績:J.P.ジャリエ”. F1 DataWeb. 2020年3月21日閲覧。
  26. ^ 戦績:S.モーザー”. F1 DataWeb. 2020年3月21日閲覧。
  27. ^ 戦績:ベラシ”. F1 DataWeb. 2020年3月21日閲覧。
  28. ^ 戦績:プラット&ホィットニー”. F1 DataWeb. 2020年3月21日閲覧。
  29. ^ a b Italy 1971 - Championship”. STATS F1. 2019年3月18日閲覧。

参照文献

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、1971年イタリアグランプリに関連するカテゴリがあります。
前戦
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FIA F1世界選手権
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次戦
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前回開催
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