1976年のル・マン24時間レース
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1976年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1976 )は、44回目のル・マン24時間レースとして、1976年6月12日から6月13日にかけてフランス・ル・マンのサルト・サーキットで行われた。
1976年のル・マン24時間レース | |||
前年: | 1975 | 翌年: | 1977 |
新しいレギュレーションが適用されて[1]出走枠が大幅に変更され、従前からのグループ6[1]に加え、この年から世界メーカー選手権に登場した市販車をベースにしたグループ5[1] "シルエットフォーミュラ" をはじめ、GTX、GTP、アメリカからIMSA・キャメルGTの参加車両やNASCAR、ストックカーも出走を許可した[2]。ただしストックカーの参加が認められたのはこの年のみであった[3][1]。前年に復活した燃費規制も再び廃止された[4][1]。
S3.0
ポルシェは1974年以来の参加となるワークス参加となった。カナディアン-アメリカン・チャレンジカップにターボエンジンを搭載したポルシェ・917/10にて勝ち続けた実績から500PS以上を発揮する空冷2,142cc[注釈 1]水平対向6気筒エンジンを開発、これを搭載したグループ6マシン、ポルシェ・936を出場させた。
ポルシェの対抗馬としてアルピーヌ・ルノーA442ターボが参戦。エルフ石油のスポンサードを受け、タイヤはミシュランを使用し、フランス人ドライバーを使うなどフランスで固めたチームであり、この活躍でル・マンは盛り上がりを見せた[1]。フォーミュラ2用の2リットルV型6気筒エンジンは300PS近くを出力していたが、これにターボを装着して出力は500PSに達したという[1]。
ミラージュ、ローラなどコスワースDFVエンジンを搭載したマシンも出場したが耐久用に出力を400PS程度に抑えなければならず、ポルシェやルノーのターボ車には大きく差をつけられた[1]。
グループ5
シルエットフォーミュラのポルシェ・935が出場した。
GTP
自らのチームで出場するドライバーのジャン・ロンドーが製作したイナルテラ・LMが登場[注釈 2]。開発にはドライバーのヴィック・エルフォードが加わっている[5]。エンジンはフォード・コスワースDFVを搭載している。
アルピーヌ・ルノーA442に乗るジャン=ピエール・ジャブイーユがポールポジションを獲得。ポルシェ勢はジャッキー・イクス/ジィズ・ヴァン・レネップ組が2位、ラインハルト・ヨースト/ユルゲン・バルト組が5位。ワークスの935を駆るロルフ・シュトメレン/マンフレート・シュルティが3位という布陣。
これまでにない暑さの中で行われた[1]。
スタート数周はアルピーヌ・ルノーと2台の936が首位を争う展開だったが、11周目にイクス/ヴァン・レネップ組の936が首位に立ち、ヨースト/バルト組も2位に浮上。アルピーヌ・ルノーは3位に後退した。
21時過ぎ[6]にアンドレ・アラーがドライブするダットサン・260Zがミュルサンヌ付近でコースを飛び出し、アラーが即死する事故が発生した。
23時過ぎにアルピーヌ・ルノーがエンジントラブルでリタイヤ。ヨースト組の936も姿を消し、イクス組の首位は安泰になった。
11時25分、首位を走るイクス組の936の排気管にひびが入るというトラブルが発生。修理に30分以上費やしたが、順位には影響がなくそのまま走り切り、ターボエンジン車初のル・マン24時間優勝を果たした[3]。2位はジャン=ルイ・ラフォッス/フランソワ・ミゴール組のミラージュ、3位にアラン・ド・キャドネ/クリス・クラフト組のド・キャドネ・ローラが入った。シルエットフォーミュラ勢はワークスのポルシェ・935が4位に入りクラス優勝。1971年以来のル・マン2勝目を挙げたヴァン・レネップはこのレースをもって引退した[3]。