1985年のワールドシリーズ
メジャーリーグベースボールの第82回優勝決定シリーズ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
1985年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第82回ワールドシリーズ(だい82かいワールドシリーズ、82nd World Series)は、10月19日から27日にかけて計7試合が開催された。その結果、カンザスシティ・ロイヤルズ(アメリカンリーグ)がセントルイス・カージナルス(ナショナルリーグ)を4勝3敗で下し、球団創設17年目で初の優勝を果たした。
1985年のワールドシリーズ | |||||||
シリーズ優勝記念にホワイトハウスを表敬訪問し、当時のアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンにジャンパーやバットを贈呈するロイヤルズの選手たち | |||||||
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シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月19日–27日 | ||||||
観客動員 | 7試合合計:32万7494人 1試合平均:04万6785人 | ||||||
MVP | ブレット・セイバーヘイゲン(KC) | ||||||
ALCS | KC 4–3 TOR | ||||||
NLCS | STL 4–2 LAD | ||||||
殿堂表彰者 | ジョン・シャーホルツ(KC GM) ジョージ・ブレット(KC内野手) ホワイティ・ハーゾグ(STL監督) レッド・ショーエンディーンスト(STLコーチ[注 1]) オジー・スミス(STL内野手) | ||||||
チーム情報 | |||||||
カンザスシティ・ロイヤルズ(KC) | |||||||
シリーズ出場 | 5年ぶり02回目 | ||||||
GM | ジョン・シャーホルツ | ||||||
監督 | ディック・ハウザー | ||||||
シーズン成績 | 091勝71敗・勝率.562 AL西地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり7万6341.71ドル[1] | ||||||
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セントルイス・カージナルス(STL) | |||||||
シリーズ出場 | 3年ぶり14回目 | ||||||
GM | ダル・マックスビル | ||||||
監督 | ホワイティ・ハーゾグ | ||||||
シーズン成績 | 101勝61敗・勝率.623 NL東地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり5万4921.76ドル[1] | ||||||
全米テレビ中継 | |||||||
放送局 | ABC | ||||||
実況 | アル・マイケルズ | ||||||
解説 | ジム・パーマー ティム・マッカーバー | ||||||
平均視聴率 | 25.3%(前年比2.4ポイント上昇)[2] | ||||||
ワールドシリーズ
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両チームの対戦はシリーズ史上初めて。ミズーリ州を本拠地とする球団どうしの対戦となったため、両本拠地都市を結ぶ州間高速道路70号線(Interstate 70)になぞらえた "I-70シリーズ" や、州の愛称「疑い深い州」(The Show-Me State)を冠した "ショー・ミー・シリーズ" という呼び名がつけられた[3]。カージナルス優勝決定まであと1イニングという第6戦の9回裏、ロイヤルズ先頭打者ホルヘ・オータの一ゴロを一塁塁審ドン・デンキンガーがセーフと誤審し、そこからロイヤルズが逆転優勝を果たしたことで物議を醸したシリーズでもある[4]。シリーズMVPには、最終第7戦で完封勝利を挙げるなど、2試合18.0イニングで2勝0敗・防御率0.50という成績を残したロイヤルズのブレット・セイバーヘイゲンが選出された。
ワールドシリーズでは1976年から指名打者(DH)制度が導入され、今シリーズまでの10年間は、偶数年は全試合で採用、奇数年は全試合で不採用とされていた。翌1986年からは規則が変更され、年度にかかわらずアメリカンリーグ球団の本拠地では採用、ナショナルリーグ球団の本拠地では不採用となった[5]。この方式が現在も続いているため、全試合DHなしで開催されたワールドシリーズは現時点では今シリーズが最後である。