Doomの開発
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Doomの開発(ドゥームのかいはつ)では、1993年12月に発売されたid Softwareのファーストパーソン・シューティングゲーム『Doom』の開発について記述する。
『Doom』は、コンピュータゲームの歴史において最も重要かつ影響力のある作品の1つと考えられている[1][2][3]。本作の開発は1992年11月に始まり、プログラマーのジョン・カーマックとジョン・ロメロ、アーティストのエイドリアン・カーマックとケヴィン・クラウド、そしてデザイナーのトム・ホールが参加した。開発後期にホールはサンディ・ピーターセンと交代し、プログラマーのデイブ・テイラーが加わった。音楽と効果音はボビー・プリンスによって作曲された。
Doomのコンセプトは、『Wolfenstein 3D』とその続編である『Spear of Destiny』の発売後の1992年後半に提案された。ジョン・カーマックはそれらのゲームから改良された3D ゲームエンジンに取り組んでおり、チームは次のゲームで彼のデザインを活用したいと考えていた。『コマンダー・キーン』シリーズの新作を含むいくつかのアイデアが提案されたが、ジョンは、チームがプレイした『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のキャンペーンに触発されたテクノロジーを使い悪魔と戦うゲームを提案した。開発の最初の数か月はプロトタイプの作成に費やされ、その間にホールはゲームのビジョンとストーリーのデザイン文書である「Doom Bible」を作成した。idがチームがまだ作業を開始していない機能を宣伝する壮大なプレスリリースをリリースした後、 Doom Bibleは却下され、デザイン文書がないプロット無しのゲームを選んだ。
それからの6か月間で、ホールは実際の軍事基地に基づいたステージを設計し、ロメロは機能を構築し、アーティストのエイドリアンとクラウドは、彼らが作った粘土モデルに基づいてテクスチャと悪魔を作成した。しかし、ホールのステージデザインは面白くないとみなされ、ロメロは自分のステージのデザインを始めた。自身のわずかな影響力に次第に不満を募らせていたホールは7月に解雇された。9月に彼の後任としてピーターセンが加わり、1993年12月にゲームが完成するまで、チームは更に長時間働いた。Doomは1993年12月10日にidによってセルフパブリッシングされ、数千人のプレーヤーによってすぐにダウンロードされた。