カール・ヨハン・マキシモヴィッチ
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カール・ヨハン・マキシモヴィッチ(Carl Johann Maximowicz または Karl Johann Maximowicz、マクシモビッチ、マキシモビッチ、マクシモヴィッチとも表記する、1827年 - 1891年)は、19世紀のロシアの植物学者で、専門は被子植物の分類。ペテルブルク帝立科学アカデミー会員。極東アジア地域を現地調査し、生涯の大半をその植物相研究に費やし、数多く新種について学名を命名した。その業績を含め、日本との関わりは大きい。
カール・ヨハン・マキシモヴィッチ Карл Иванович Максимович | |
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![]() Carl Johann Maximowicz (1827-1891) | |
生誕 | 1827年11月23日 (ユリウス暦では同年11月11日) ロシア、トゥーラ |
死没 | 1891年2月16日 (ユリウス暦では同年2月4日) ロシア、サンクトペテルブルク |
職業 | 植物学者 |
バルト・ドイツ人で、本名はカール・イワノヴィッチ・マキシモヴィッチ(ロシア語: Карл Ива́нович Максимо́вич)であるが、著作や論文など研究発表はドイツ流のカール・ヨハン・マキシモヴィッチ(Carl Johann Maximowicz)の名を記している。