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あの丘越えて
1951年公開の日本映画 ウィキペディアから
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『あの丘越えて』(あのおかこえて)は1951年11月1日公開の日本映画。 松竹大船製作、モノクロ、スタンダード、83分、映倫番号:546。
あらすじ
自然豊かな野山を馬で駆ける万里子は13才。母親が亡くなった時、あやばあちゃんに預けられ親の顔を知らずに育つ。父親・研一郎は都会で事業を起こし、再婚もしたので生活に余裕ができたという事で、万里子を引き取る事に。万里子の家庭教師だという大学生・能代大助が迎えに来た。別れたくないあやばあちゃんの説得で渋々都会へ。研一郎の今度の妻・朝子は自分の父親・伍平に、万里子は自分の子だと紹介する。伍平は「お前か山猿は」万里子はひげが生えてるので「おじいちゃんは村長け」とそんなふたりの会話ではあったが、気難しい伍平もやはり孫は可愛く、気を許す関係になっていった。家庭も学校もすべて初めての体験で迷うことばかりであったが、大助の力添えで難なく過ごすことができた。花売りの由技枝とその妹・春江とも友達になった。研一郎は手形の裏書きのトラブルが原因で心労がたたり倒れる。その様子を見た万里子は家計の足しにと花売りを手伝うことに。演歌師みたいに歌うと、もっとお金になると春江からのアドバイス。早速実行してみると、可愛らしさと珍しさでどんどん花が売れて見事完売。演歌師の田川と三公とも友達になった。研一郎は社員たちに給料の遅配を詫びるが、紛糾し窮地に陥る。見かねた万里子や田川たちが現れ歌で場を和ませる。そして大助の口添えで社員たちをなだめる事ができた。この頃には万里子はホームシックと大助への恋心で落ち込む毎日だった。万里子が誕生日会で、実の母親が作った曲を歌ったことから、朝子の本当の子でないことが発覚。研一郎の事業を助けてくれる伍平を怒らせてしまう。重苦しい状況に陥った家族関係に心を痛める万里子は大助のところへ。しかしそこで大助と由技枝の姿を見て、万里子はあやばあちゃんのもとへ黙って帰る決心をする。久しぶりで帰った故郷で待っていたのは、あやばあちゃんの悲しい知らせ。死に目には会えたとはいえ、そのショックは大きく、消沈した万里子は野山を彷徨う。そして湖で溺れたところを、再び迎えに来た大助に救われる。蘇った万里子は、いままでとは違う何かの心で満たされているようだった。そして思い直した伍平と両親が迎えに。みんなから愛される万里子だった。
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スタッフ
キャスト
挿入歌
外部リンク
- あの丘越えて - 映画com.
- あの丘越えて - 日本映画データベース
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