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もう飛ぶまいぞこの蝶々
モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」第1幕最終場面のアリア ウィキペディアから
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「もう飛ぶまいぞこの蝶々」 (イタリア語: Non più andrai, farfallone amoroso「もう飛ぶまいぞ、この色気の蝶々」という表記も存在する) は、1786年にW.A.モーツァルトによって作曲されたオペラ『フィガロの結婚』(K.492)のバス・アリアである。イタリア語のリブレットは、1784年に書かれたボーマルシェの戯曲に基づき、台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテによって執筆された。
背景
→詳細は「フィガロの結婚 § あらすじ」を参照
第1幕の最後に、アルマヴィーヴァ伯爵はスザンナの部屋に隠れているケルビーノを見つける。伯爵は、既にケルビーノが伯爵夫人である妻のロジーナを狙っているのではないかと疑っていて、そしてケルビーノの生活習慣がだらしないこと全般に対しても気に入らなかった。しかし、ケルビーノ自身はスザンナを誘うために部屋にいたため、伯爵はケルビーノを罰することはできなかった。その代わりに、伯爵はセビリアの連隊にケルビーノを派遣することにする。このアリアでは、伯爵の宮殿での愉しい浮ついた生活とは全く対照的な、勇猛な軍での将来の暮らしについて、フィガロがケルビーノをからかうのである[1]。
歌詞
オペラ『フィガロの結婚』のリブレットは台本作家のロレンツォ・ダ・ポンテによって書かれており、彼は『コジ・ファン・トゥッテ』『ドン・ジョヴァンニ』の2作品をモーツァルトと協力して手掛けている。
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楽曲

このアリアはハ長調4/4拍子で作曲されており、軍隊行進曲風の様式である。114小節の長さで、演奏には約4分かかる。音域・テッシトゥーラはC3からE4となっている[2]。メロディーは自然倍音 (C-E-G-C) が多用され、軍用ラッパの音を模倣している。この演奏表現は、オーケストラ内でホルンの音色が何回か目立つ時に強調される。最後の14小節では、(とくにもともとのト書きである"Partono tutti alla militare"を尊重するプロダクションでは)登場人物が軍隊行進風にステージから退場しながら、オーケストラ全員での演奏が繰り広げられる。
影響
覚えやすい曲調と印象的な軍隊風の伴奏で、このアリアは当初から人気があった[3][4]。実際、初演のリハーサルでフランチェスコ・ベヌッチがこの曲を歌った際には、出演者から作曲家に対してブラボーの掛け声が自然に湧き上がったとされる[5]。
モーツァルトは自身のこの楽曲をのちに引用しており、オペラ 『ドン・ジョヴァンニ』 (1787) の中で、メドレーの一部として舞台上のバンダが演奏する。これは観客がすぐに気づくのではないかと、モーツァルトは明らかに意識していた(ドン・ジョヴァンニのウィーン初演でベヌッチが歌ったレポレッロは、皮肉にも"Questa poi la conosco pur troppo"「この曲は私がよく知っている」と歌っている)[6]。モーツァルトはさらに、このアリアを「5つのコントルダンス」K.609 (1791) の第1番にも転用した[7]。
ロバート・ハリスは「もう飛ぶまいぞこの蝶々」を「オペラで最も有名なアリア」と呼び、「これは素晴らしい曲で非常に喜劇的な作品ですね...モーツァルトが遊び心と楽しさを最大限に発揮するとこうなるのですね」と評した[6]。
この行進曲は現在、英国のコールドストリーム・ガーズとカナダの総督近衛歩兵連隊によって、ゆっくりとしたテンポの行進曲として使われている[8][9]。
史実に基づいていないが、ピーター・シェーファーの戯曲『アマデウス』(及びその映画化作品『アマデウス』)には、アントニオ・サリエリが作った行進曲をモーツァルトが即興で変えて「もう飛ぶまいぞこの蝶々」のメロディを生み出すという場面がある[10]。
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参考文献
外部リンク
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