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アウクスブルク (フリゲート・初代)

西ドイツ海軍のフリゲート ウィキペディアから

アウクスブルク (フリゲート・初代)
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アウクスブルクドイツ語: Augsburg, F 222)とは、西ドイツ海軍フリゲートであり、ケルン級フリゲートの3番艦である。

概要 アウクスブルク, 基本情報 ...

艦名はバイエルン州第3の都市であるアウクスブルク市に由来し、この名を冠するドイツ海軍艦艇としては2代目に相当する。

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艦歴

「アウクスブルク」は、H.C.ストラッケン&ゾーン・ハンブルク造船所にて1958年10月29日に起工し、1959年8月15日の進水式には当時のアウクスブルク市長クラウス・ミュラー(Dr. Klaus Müller)とその妻アニー・ミュラー(Anny Müller)が出席し、アウクスブルクと命名された。

その後は艤装と試験航海を行った後の1962年4月7日に西ドイツ海軍に就役し、他の姉妹艦と共に第2護衛艦戦隊(2. Geleitgeschwader)に配備された[1]

「アウクスブルク」をはじめとするケルン級フリゲートはバルト海での作戦行動を前提に設計されており、米ソ全面戦争勃発時には、バルト海北海を通って北欧諸国への増援に向かうNATO軍輸送船団をソ連海軍およびワルシャワ条約機構加盟国(東ドイツとポーランド)海軍の潜水艦から護衛することになっていた。

「アウクスブルク」は就役後、北海やバルト海、北大西洋地中海におけるNATO軍の合同演習に多数参加してきたが、新型のブレーメン級フリゲートの建造と就役が進められたこともあって1987年10月1日に「アウクスブルク」の運用終了が決定され、1988年3月30日に退役した。

退役後の「アウクスブルク」の船体は、ヴィルヘルムスハーフェンの海軍工廠(Marinearsenal[2]に保管された後にVerwertungsunternehmen des Bundes(VEBGE)に売却され、1989年11月17日にハンブルクへ曳航され翌12月に解体された。

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備考

関連項目

外部リンク

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