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アゴスティーノ・ヴェネツィアーノ

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アゴスティーノ・ヴェネツィアーノ
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アゴスティーノ・ヴェネツィアーノとして知られる アゴスティーノ・ディ・ムシ(通称: Agostino Veneziano、本名は Agostino di Musi、姓は dei Musiや Musisとも、1490年頃 – 1540年頃)は、イタリアの版画家である。

概要 アゴスティーノ・ヴェネツィアーノAgostino Veneziano, 生誕 ...
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ヴェネツィアーノ作「魔女の集会(ストレゴッツォ)」、国立西洋美術館[1]

略歴

ヴェネツィアで生まれ、ヴェネツィアで絵を学んだと考えられているが、誰から学んだかについては知られていない。通称の「ヴェネツィアーノ」はヴェネツィア出身であるところから来ている。1512年ころから、当時人気のあった版画家のアルブレヒト・デューラー(1471-1528)やジュリオ・カンパニョーラ(1482-1515)の作品の複製の制作をはじめ、その後、カンパニョーラのスタイルで自らの作品を制作するようになった。フィレンツェにも滞在した後、1514年か1516年までにはローマに移り、マルカントニオ・ライモンディ(c.147-c.1534)の工房で働くようになった[2]。1527年にローマがカール5世の軍隊による「ローマ劫掠」にあうまでライモンディの工房の最も重要なメンバーであった[3]。アゴスティーノ・ヴェネツィアーノはローマからヴェネツィアへ逃れ、1531年にローマに戻るまで、マントヴァやフィレンツェを訪れた。その後すくなくとも1536年までローマにいた記録があり、ローマで亡くなったと考えられている。ローマ劫掠によってもヴェネツィアーノの制作した銅版は、奪われたり、溶かされたりすることなくその後も版画制作に用いられた。

署名や日付がある作品だけでも約140点の作品が残されている。ラファエロ・サンティ(1483-1520)がデザインしたタペストリや絵画にもとづく版画やジュリオ・ロマーノ(c.1499-1546)の作品にもとづいた版画作品も制作した。

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作品

脚注

参考文献

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