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アタナシオス信条

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アタナシオス信条(アタナシオスしんじょう、ラテン語: Symbolum Athanasianum もしくは Symbolum Quicumque)は、三位一体の教理を告白したキリスト教信条

概要

西方教会などで広く採用され、使徒信条ニカイア・コンスタンティノポリス信条などともに基本的な信条とされている。この信条の冒頭の言葉「Quicumque(誰でもの意)」からラテン語の名称は「クィクムクェ信条」と言われる[1]。また、アタナシウスの名が冠せられ、アタナシウスが書いたものと言われている[2]が、最近の研究ではアタナシウスが書いたものではないとされている[3]

特徴

他の信条のように「わたし(我々)は信じる」という形式を用いず「~~は、~~である」という命題風である。前半の3分の2(28項迄)は神の三位一体を述べ、後半(29項~)からはキリストの「神であり人である」という二性を述べている。また、この信条に反するアリウス派の排斥文を含んでいることは、他の基本信条とは異なる[2]

ラテン語

要約
視点
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翻訳

聖公会訳

  1. 救われることを願うものはみな全てのことに優先して公会(カトリック)の信仰を奉ずることが必要である。
  2. この信仰を完全に汚すことなく守る者でなければ必ず永遠に滅びる。
  3. 公会(カトリック)の信仰は次の通りである。すなわちわたしたちは三位一体の唯一の神、唯一である三位一体の神を
  4. 位格を混同することなく、本質を分けることなく礼拝する。
  5. なぜなら、父は一つの位格、子も他の位格、聖霊も他の位格であるからである。
  6. しかし、父、子、聖霊の神性は全く一つであり、栄光は等しく、尊厳は共に永遠である。
  7. このように、父は存在し、子も存在し、聖霊も存在する。
  8. 父は造られず、子も造られず、聖霊も造られたものではない。
  9. 父は測り知られず、子も測り知られず、聖霊も測り知られない。
  10. 父は永遠、子も永遠、聖霊も永遠である。
  11. しかし、永遠の三つのものがあるのではなく、永遠のものが一つあるだけである。
  12. 造られないものが三つ、測り知れないものが三つあるのではなく、造られないものが一つ、測り知れないものが一つあるだけである。
  13. 同様に、父は全能、子も全能、聖霊も全能である。
  14. しかも全能なものが三つあるのではなく、神はただ一つである。
  15. それゆえ、父は神、子も神、聖霊も神である。
  16. しかし、神が三つあるのではなく。神はただ一つである。
  17. 同様に、父は主、子も主、聖霊も主である。
  18. しかし、主が三つあるのではなく、主は一つあるだけである。
  19. キリスト教の真理によればそれぞれの位格は神であり、主であると信認せざるを得ない。
  20. それゆえ、公会(カトリック)の信仰によれば、三つの神、三つの主について語ることを禁ずる。
  21. 父は何ものからも作られず、創造されず、生まれたのでもない。
  22. 子は父のみからのもの、作られず、創造されず、生まれたものである。
  23. 聖霊は父と子からのもの、作られず、創造されず、生まれず、しかし、出ているのである。
  24. それゆえ、一つの父であって三つの父でなく、一つの子であって三つの子でなく、一つの聖霊であって三つの聖霊ではない。
  25. そして、三位には相互に前も後もなく、いずれも他よりも大、あるいは小というのではない。
  26. しかし、三位はみな共に永遠であり、共に等しい。
  27. このように、すべてのことにおいて、前に述べたように三位は一体において、また一体は三位において拝まれるべきである。
  28. それゆえ、救われたいと願うものは三位一体の神をそのように思うべきである。
  29. さらに、主イエス・キリストの受肉を正しく信ずることは永遠の救いに必要である。
  30. なぜなら、正しい信仰とはわたしたちの主イエス・キリスト、神のみ子は、神であり人であると信じ、告白することだからである。
  31. 神であるとは父の本質から、この世に先立ってお生まれになったからであり、人であるとは母の本質から、この世にお産まれになったからである。
  32. 完全な神また完全な人で、理性ある魂と人間の肉体をもって存在された。
  33. 神性については父と等しく、人性については父に劣る。
  34. 神また人であるが、二つのではなく一つのキリストである。
  35. 一つであるのは神性が肉体に変化したのではなく、人性を神のうちにお取りになられたことによる。
  36. 全く一つであるのは、本質の混同によるのではなく、位格が一つであることによる。
  37. 理性ある魂と肉体が一つの人であるように、神と人は一つのキリストである。
  38. わたしたちの救いのために苦難を受け、陰府に下り、死人のうちからよみがえり、
  39. 天に昇り、全能の神、父の右に座し、そこから生きている人と死んだ人を裁くために来られる。
  40. 主が来られるとき、すべての人はその肉体をもってよみがえり、おのおの自分の行いについて申し開きをするであろう。
  41. 善を行ったものは永遠の命に入り、悪を行ったものは永遠の火に入る。
  42. これが公会(カトリック)の信仰であり、これを心から忠実に信じなければ救われることはありえない。[5]
※現在ではあくまで「歴史的文書」という扱いであり、祈祷書の末尾に「付録」として掲載されているが[5]、教会で用いられることはまずない。

改革派

  1. 誰にても救われるには、先ず公同的信仰を奉ずる事が必要である。
  2. 全体を欠けなく保持するに非ざれば、疑いも無く彼は永久に亡び行くであろう。
  3. 公同的信仰とはこれである。即ち我々は三位に於いて一神を、一致に於いて三位神を礼拝する。
44. 誰にても之を忠実に信ずるに非らざれば救われ得ぬ公同的信仰とは斯の如きものなり[6]
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脚注

参考文献

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