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アッパッパ

簡易なデザインの夏用ワンピース ウィキペディアから

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アッパッパ(アッパッパー)は女性用の夏の家庭着の名称で、ゆったりとした簡単な木綿製のワンピース型の衣服である。簡易服、清涼服、簡単服[1]などとも呼ばれる。

歴史

要約
視点

大正末期まで、洋装は上流階級や職業婦人の間でしか定着しなかったが[2][3]1923年(大正12年)の関東大震災時、和服の女性が動きにくさから逃げ遅れ、多くの命を落としたことが契機となり、女性の洋装化の機運が高まった[4]。また、震災による火事で衣類を焼失した家庭では、当座をしのぐ簡便で動きやすい洋服が求められた[5]。そのような背景の中、かねてより生活改善運動の流れから洋装化を推進してきた婦人之友社が、飯島夫人洋服店に依頼し[6]、同年10月に簡単服として売り出し非常によく売れた[7]。これに目を付けた大阪商人が同年12月に大阪でアッパッパとして売り出したところ、震災被災地よりも大阪で多く着用されたという[8]。s

東京では、昭和の初め松坂屋が夏のアッパッパを売り出し[9]、女性の洋装化に拍車がかかった[10]。浴衣地一反の価格で2枚購入できる安価さと、着用の簡易さから、洋服に馴染みのない低所得層の主婦たちがこぞって着用した[11]。1934年(昭和9年)の三省堂『学習百科事典』にも、アッパッパは簡単服の別名として「価が安く便利なので、近年盛に流行している」と書かれている[1]

既製服アッパッパは大流行したが、簡易であることから、家庭での製作も可能であった。婦人の友社は仕立て方を誌上に掲載し、服装改善会からは型紙も販売された。洋服生地店が「無料裁断サービス」を始めたことも洋裁へのハードルを下げ、家庭での製作が盛んとなった。アッパッパは、既製服とともに、家庭裁縫により普及したのである[11]

1929年(昭和4年)の東京は40年ぶりの猛暑であり、清涼着と名づけて売りに出されたアッパッパが流行した。気候もこの衣服の流行の原因をなしている。このアッパッパの流行に対し、見た目のまずさから嘲笑の対象となり[12]、批判も多くなされた[13][14]。当初は浴衣感覚で着用されており[15]ズロースといった洋風の下着は普及しておらず[16]、裾から赤い腰巻がみえる、下駄ばき、丸髷に合わせての着用という光景も見られた[17][18] こともあり、特に男性からの嫌悪顰蹙にあった[19][20]。そのような初期は、来客の際などにはアッパッパ姿で対応するのははばかられ、和服に着替えることもあった[21]

定着していくにつれて、「衛生的にみて申し分が無い」と医師から賛成論が出たり[20]、女性を解放したものとして、擁護する意見も増えていった[22][23][24]佐藤愛子は、昔の言葉を取り上げた著書『今は昔のこんなこと』に「アッパッパこそは日本女性が因襲から解放された第一歩かもしれない」と書いている[25]

1932年(昭和7年)の夏にはアッパッパの改良も行われるようになった[26]。外出の際にはベルトをしたり[27]、また使われる素材も様々となり、衿やベルト、ボタンなどデザインが工夫された[28]。やがて昭和中期にはホームドレス、のちサマードレスと呼ばれ、品質も向上した[29][30]

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特徴

アッパッパは、次のような特徴により、幅広の帯を締める和服のうち、簡便な夏の衣類である浴衣と比較しても、利点が多かった。大きめでゆったりとしたデザイン。袖なし[16]もしくは小さな袖[31]。通気性があり、木綿類のものが多かったため[28]汗を吸って、蒸し暑い日本の夏の衣服として、涼しく、軽くて自由で、動きやすく、着心地がよかった[32]。頭からかぶって着られ、着付け・着替えの面でも、また洗濯の面でも、大変楽である[33][34][35]

意義

「和服から洋服への橋渡し」としての意義が大きい。それは、浴衣感覚で気楽に着用できたという着用面での橋渡しと同時に、縫製においても直線構成の和服と曲線構成の洋服の丁度間に位置し、洋服縫製に慣れる第一歩となった[36]榊原昭二は、『昭和語 60年世相史』の中でアッパッパを「洋装化のスプリングボードになったファッション史上最大の事件である」と書いている[37]

名前の由来

「アッパッパ」という独特な名前は、「あっという間に着られて裾がパッパと広がる」の意で、大阪商人が言い始めたとされることが多い[7][38][39]くいだおれ創業者の山田六郎の既製服製造販売時代の考案であると、山田の孫である柿木央久は自身の著書『ばかたれ、しっかりせ』の中で書いている[40]。同書ではイラスト入りで「あっちゅうまに着られて、裾がぱあーっとひろがります。それであっぱっぱ、いいまんね」と記している[41]

そのほか、「パッと開け放しにして秘するところの何物もない」[42]山脇敏子の創造[3]、「up a parts」の略[43]、建築用語「アッパー・パート」の略[3][44]、チベット語[45]等々、諸説ある。『上方語源辞典』では、あっぱっぱの語源は未詳としつつも、「大正期の大阪に始まる」としている[46]

なお、「アッパッパ」、「簡易服」は「サマードレス」の類語として夏の季語でもある[32]

語感

「あっぱっぱ」という語句自体は、1906年(明治38年)ごろに流行したと言われる[47]『チリップチャラップ節』の歌詞に登場する[48]。この歌は別名『隆盛節(りゅうせいぶし)』とも呼ばれ[49][50]日露戦争の講和に関する批判的な歌と言われている[51]1910年(明治42年)のオルガンの教本には『りうせい節』として楽譜と歌詞が記載されており、『チリップチャラップ節』とはほかの部分の歌詞が異なる部分もあるが、「あっぱっぱ」と歌われる[52]

1925年(大正14年)に初出の江戸川乱歩による小説『白昼夢』(『小品二篇 その一 白昼夢』)では、主人公が『チリップチャラップ節』の一部と思われる「アップク、チキリキ、アッパッパア……」という歌声を聞くシーンがある[53]

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脚注

参考文献

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