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アテナイのプルタルコス
古代末期のギリシアの哲学者 ウィキペディアから
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アテナイのプルタルコス(古希: Πλούταρχος ὁ Ἀθηναῖος 英: Plutarch of Athens, 431年/432年没[1])は、東ローマ帝国初期・古代末期の哲学者。新プラトン主義者。アテナイのアカデメイアを再興した学頭。シュリアノスとプロクロスの師。ネストリオスの子プルタルコス[2]とも呼ばれる。

人物
アカデメイアは、前1世紀ミトリダテス戦争中のスラによる略奪や、アンティオコスの分離独立以来、歴史の表舞台から消えていた[2]。これを5世紀に「継承者」(ディアドコス)を名乗って再興したのが、アテナイのプルタルコスである[2]。
弟子に次代学頭シュリアノス、その次代学頭プロクロス、『黄金の詩註解』の著者アレクサンドリアのヒエロクレスがいた[3]。プロクロスとは死の2年前に出会い、高齢を押して『魂について』『パイドン』を講読し、実子同然に扱い共同生活をした[4]。
実子にヒエリオスとアスクレピゲニアがいた。
著作・思想
脚注
参考文献
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