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アナベル・リー

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アナベル・リー
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アナベル・リー』(Annabel Lee )は、1849年に書かれたアメリカの作家・詩人・編集者・文芸批評家エドガー・アラン・ポーによる最後の詩である。ポーの死後2日目に地元の日刊新聞『ニューヨーク・トリビューン』紙に発表された。

概要 アナベル・リー Annabel Lee, 作者 ...

日本語訳詩は日夏耿之介阿部保福永武彦などある。大江健三郎は日夏訳[1]から小説『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(文庫・全集において『美しいアナベル・リイ』に改題された)という作品を書いている[2]。作家の宮本百合子は『獄中への手紙』[3]で『婦人公論』昭和15年(1940年)8月号掲載の日夏訳を宮本顕治に紹介している。

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原文

IT was many and many a year ago,
In a kingdom by the sea,
That a maiden there lived whom you may know
By the name of ANNABEL LEE;
And this maiden she lived with no other thought
Than to love and be loved by me.
I was a child and she was a child .
In this kingdom by the sea:
But we loved with a love that was more than love --
I and my ANNABEL LEE;
With a love that the winged seraphs of heaven
Coveted her and me.
And this was the reason that, long ago,
In this kingdom by the sea,
A wind blew out of a cloud,chilling
My beautiful ANNABEL LEE;
So that her high-born kinsman came
And bore her away from me,
To shut her up in a sepulchre
In this kingdom by the sea.
The angels, not half so happy in heaven,
Went envying her and me -
Yes! - that was the reason (as all men know,
In this kingdom by the sea)
That the wind came out of the cloud by night,
Chilling and killing my Annabel Lee.
But our love it was stronger by far than the love
Of those who were older than we
Of many far wiser than we
And neither the angels in Heaven above
Nor the demons down under the sea,
Can ever dissever my soul from the soul
Of the beautiful Annabel Lee
For the moon never beams, without bringing me dreams
Of the beautiful Annabel Lee;
And the stars never rise, but I feel the bright eyes
Of the beautiful Annabel Lee
And so, all the night-tide, I lie down by the side
Of my darling - my darling, - my life and my bride,
In the sepulchre there by the sea,
In her tomb by the side of the sea
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昔昔のことだった
海のほとりのある王国で
そこに生きていた一人の乙女を、あなたも知ろう
アナベル・リーの名によって
そして、この乙女、彼女は生きた何の考えも持たず
ただ、私を愛し、私に愛されるという考え以外は。
海のほとりのこの王国で
私は子供で、そして彼女も子供だった
海のほとりのこの王国で
しかし、私たちは愛しあった、愛以上の愛情をもって
私と私のアナベル・リーは。
天国の翼あるセラフィムが彼女と私を妬む愛情をもって
そしてこれが、昔昔
海のほとりのこの王国で
ある1つの雲から風が吹き、凍えさせた理由だ
私の美しいアナベル・リーを
その結果、彼女の高貴な生まれの眷属が来て
そして、彼女を私から奪い去った
ある墓所に彼女を閉じ込めるため
海のほとりのこの王国で
あの天使たち、
天国でも半分も私たちのようには幸せではなかった、
は、彼女と私を妬むようになっていた
そう!それが理由だ(全ての男が知っているように、
海のほとりのこの王国で)
あの風があの雲から夜に吹き
凍えさせ、殺した私のアナベル・リーを
しかし、私たちの愛、それは更により強かった
私たちよりもより年長の誰の愛よりも
私たちよりも遥かに賢い多くの人の愛よりも
そして天上の天使たちも
海の底の悪魔も
私の魂を離すことすらできない
美しいアナベル・リーの魂から
というのも、月は、美しいアナベル・リーの
夢を私にもたらすことなしでは、輝かず
そして星々は、美しいアナベル・リーの
美しい瞳を私に感じさせることなしには、昇ることはない、
そして、それで、夜の間中、私は横たわるから。
私の愛しい、愛しい、私の命そして私の花嫁の傍らに
そこの海のほとりの墓所の中で
海のほとりの彼女の墓の中で
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その他の訳

古くは以下のような訳類があることが明らかにされている[4]

  • 大正14年(1915年)に鯖瀬春彦「アナベル・リイ」(『音楽』6巻6、東京音楽学校)(詳細未詳)。
  • 大正8年(1919年)4月に片山伸訳「アナベル・リイ」(生田春月編『泰西名詩名訳集』越山堂)、昭和2年10月、畑喜代司著『泰西名詩の味ひ方』(資文堂)所収〔亞米利加詩篇〕に清水暉吉訳「アナベル・リィ」を収録(これは昭和10年に『泰西名詩の鑑賞』として改題・再刊されている)。
  • 昭和10年(1935年)『世界文芸大辞典』第一巻(中央公論社)に日夏耿之助が「アナベル・リイ」の項目執筆を行っている。

大江健三郎の小説『﨟(らふ)たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』(2007年刊)は、2010年、文庫化に際し『美しいアナベル・リイ』に改題されたものであるが、日夏耿之助訳中に「﨟(らふ)たしアナベル・リイ」という表記は第四聯と第六聯に見えるものの、「総毛立ちつ身まかりつ」と直接に連接した表現はみられない。

日夏耿之助訳(創元選書『ポオ詩集』)では七五調を基調としながら、第一聯「わたの水阿(みさき)の里住みの」〜第二聯「わたの水阿のうらかげや」〜第三聯「かかればありしそのかみは」〜第四聯「帝郷の天人ばら天祉(てんし)およばず」〜第四聯「ねびまさりけむひとびと」〜第六聯「月照るなべ」〜「そぎへに居臥す身のすゑかも。」と、最後の「そぎへに居臥す身のすゑかも」を七七調にすることで韻律のうえでも詩に決着をつけて終わる。

一方、加島祥造(岩波文庫『ポー詩集』)では、第一聯「幾年(いくとし)も幾年も前のこと」〜第二聯「この海辺の王国で、ぼくと彼女は子供のように、子供のままに生きていた」〜第三聯「そしてこれが理由となって、ある夜遠いむかし、その海辺の王国に」〜第四聯「天使たちは天国にいてさえぼくたちほど幸せでなかったから」〜「ある夜、雲から風が吹きおりて凍えさせ、殺してしまった、ぼくのアナベル・リーを。」と、四聯に集約している。

ステファヌ・マラルメはポーによる第六聯の詩をフランス語に訳すにあたり、最終第六聯と入れ替えるかたちで、原詩の第五聯を末尾に配するという改竄をおこなっている[5]

日本への享受と影響

  • 萩尾望都ポーの一族』(1972年 - 1976年、2016年 - ) - ヒロインのメリーベル・ポーツネルの名前がアナベル・リーに由来するとする説がある。なお、メリーベルから影響を受けたキャラクター、作品等については同項目を参照のこと。
  • 水樹和佳子『海のほとりの王国で…」(ぶ〜け 1980年11月号) - 主人公セバーンの亡き妻を象徴する詩として現われる。
  • 久世光彦一九三四年冬―乱歩』(1993年刊)- 「アナベル・リー」に曲をつけて歌う人物が登場する。作中では小林亜星作曲の楽譜が掲載されている。
  • 大江健三郎『﨟(らふ)たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』(2007年刊)/文庫化に際し『美しいアナベル・リイ』(2010年)と改題。

脚注

外部リンク

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