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アフマド・ハン (ジョチ家)

大オルダのハン ウィキペディアから

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アフマド・ハン・ビン・クチュクペルシア語: احمد خان بن کوچک、1460年以前 - 1481年1月[1]6日 サライ)は、ジョチ・ウルス最後の政権である大オルダのハン(在位:1465年 - 1481年)。大オルダのハンであるクチュク・ムハンマドの息子。

概要

1465年、兄のマフムード・ハン(1459年より大オルダのハン)に反乱を起こして権力を奪取した。

1472年、ポーランドカジミェシュ4世と同盟してモスクワ大公イヴァン3世に対抗、さらに1476年にはイヴァン3世の封臣の地位を承認させようとしたが、ロシアとの力関係がすでに逆転していた。

1480年、モスクワ大公国への軍事遠征を起こしたが、モスクワから150マイルのところでウグラ河畔の対峙を起こした。両軍とも数週間の間敵を挑発したが結局戦闘は起こらず、アフマド・ハンは撤退した。これにより、イヴァン3世はタタールのくびきから脱した。

1481年1月6日、シビル・ハン国イバク・ハン英語版により殺害された[2]

脚注

参考文献

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