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アマルナ文書

楔形文字の書かれた粘土板。エジプト中部のアマルナで発見された。 ウィキペディアから

アマルナ文書
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アマルナ文書(アマルナぶんしょ、Amarna letters)は、エジプト中部のナイル川東岸アマルナで発見された楔形文字の書かれた粘土板文書である。

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EA161。アムル王からファラオに宛てた書簡。

概要

アマルナ文書の多くは、エジプト第18王朝ファラオであったアメンヘテプ4世時代(在位:紀元前1353年?頃~紀元前1336年?頃)の外交政策と国際関係を示した史料で、紀元前14世紀古代オリエントを知るための重要な情報源のひとつとされており、ベルリン博物館大英博物館カイロ博物館などに収蔵されている。

アマルナ文書は1885年、アマルナで肥料として使用する日乾煉瓦の材料を探していた地元女性によって偶然発見され、1891年、エジプト考古学者のフリンダーズ・ピートリーによってアテン大神殿の南、ファラオ通信文書館跡から出土したものであることが確認された。出土した総数は382枚にのぼり、紀元前14世紀の前半から中盤にかけてのオリエント列強やエジプト支配国の高官たちがファラオに宛てた外交書簡で、多くが当時の近東の国際公用語であるアッカド語で記されている[注釈 1]

エジプトと敵対していた勢力の攻撃にさらされていた弱小首長から届いたものが多く、黄金や補給物資の救援を訴えている。ピーター・クレイトン: Peter A. Clayton)が「当時のアクエンアテン(アメンヘテプ4世)は新宗教の研鑽に没頭しており、こうした訴えの殆どは無視された」と指摘している[1]ようにそのほとんどが来信の記録であった。

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アマルナ文書の一覧

要約
視点

アマルナ文書は350の書簡と書記養成学校で用いられたと考えられる32の辞書や文学テキストで構成される[2]。EA1からEA382の番号で管理されており、差出人にはバビロニアアッシリアミタンニアルザワ英語版キプロスヒッタイトシリアパレスティナなどの諸国の支配者の名が記されている。以下に一覧を記す。

さらに見る 番号, 差出人と宛名 ...
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脚注

参考文献

外部リンク

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