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アメル・マルドゥク

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アメル・マルドゥク(Amel-Marduk。アッカド語ではAmēl-MardukまたはAmil-Marduk、ただし発音はAwēl-MardukまたはAwîl-Marduk)は、新バビロニアの第3代王[1][2]。父であるネブカドネザル2世の後を継いで王となった。名は「マルドゥク神の男」の意。聖書ではאֱוִיל מְרֹדַךְ ʔĕwîl-mĕrodak(エビル・メロダク、Evil-Merodach)という名で登場する。

概要 アメル・マルドゥク, 在位 ...

生涯

彼の名前及び治世の長さは「ウルクの王名表」及び「プトレマイオスの王名表」に記されている。しかしながら、現存している楔形文字の文書で、彼の生涯及び業績について記しているものは何も無い[1]ベロッソスによれば、彼はネルガル・シャレゼルの企みにより謀殺されたとされている[3]ネルガル・シャレゼルは彼の後継者にして義兄弟である。ベロッソスはまた、彼は公務を違法・不純な方法で執り行った、とも記している。これはおそらく、ネブカドネザルの政策に対する改革など[4]、祭司階級を激怒させる行為を示唆しているものと思われる[5]

そのような改革の1つが聖書に記録されている[6]。そこでは、エビル・メロダクが37年間の捕囚の後、ユダの王ヨヤキンを出獄させたことが記されている。
その後のユダヤ教とキリスト教の文書では、聖書の記述を拡大している。フラウィウス・ヨセフスラビ・ナタン英語版は、アメル・マルドゥク王が彼の父(ネブカドネザル2世)の死後にヨヤキンを解放したのは、父が理由も無く彼を拘束したと信じたためだとしている[1]。当初、ヨセフスはアメル・マルドゥクの治世を18年間としていたが[7]、後の著作で、「ベロッソスによればその治世は2年間である」と述べている。『シダー・オラム・ラバー英語版[8]では23年としている[9]。『レビ記注解英語版』18:2ではネブカドネザルがまだ存命のうちにエビル・メロダクが王になり、父への反逆への懲罰として投獄されたとしている。『エステル記注解英語版』では、エビル・メロダクは、彼の父親の生前の散財ゆえに、引き継ぐべき財産は全くなかったとしている。

アメル・マルドゥクの治世はわずか2年間だったらしい(前562 - 前560)。最後は、義弟のネルガル・シャレゼル(ネリグリッサル)に暗殺され、彼が王位に就いた。

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脚注

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