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アライシュ
モロッコの都市 ウィキペディアから
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アライシュ (العرائش al-ʿarāʾiš; ベルベル語派 ⴰⵄⵔⵉⵛ)は、モロッコ、タンジェ=テトゥアン=アル・ホセイマ地方アライシュ州の州都。ララシュ(Larache)との表記もされる。
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概要
モロッコ北部にあり、タンジェの南約70kmに位置し、大西洋に面した港町である。農業の発展により急速に近代化が進んでいる。周辺の盆地にはモロッコで重要な農作地帯がある[1]。
アライシュの北にはルーコス川が流れている。
気候
要約
視点
ケッペンの気候区分で地中海性気候(Csa)に区分され、10月から4月頃までは気温が下がり降水量が増加する。5月から9月までは降水量が少なく乾燥し気温が高くなる。アメリカ海洋大気庁によると平均年間総降雨量は約700mmであり冬の平均最低気温は約8℃、夏の平均最高気温は約28℃である。
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歴史

紀元前11世紀頃にフェニキア人によって設立された古代都市リクス、現在のアライシュの東)があった[3]。クラウディウス皇帝の時代にローマ帝国のマウレタニア・ティンギタナ属州となった[4]。その後、リクスが衰退しルーコス川の対岸に現在のアライシュである新都市が建設される[4]。
1471年、ポルトガル人が477隻の3万人の 軍勢を率いてアシラーを占領した影響でアライシュは人口が減少し衰退した。その20年後にはワッタース朝によって要塞化された。1504年にはポルトガルに占領されたものの、1578年にはサアド朝スルターンのアフマド・マンスール・ザハビーによって占領される[4]。1610年からアライシュはスペイン領となったものの、1689年にはアラウィー朝スルタンのムーレイ・イスマーイールによってアライシュは再びアラウィー朝の支配下となった[3]。
1911年、スペイン軍がアライシュに上陸した。アライシュのスペイン保護領としての歴史は1956年まで続き[3]、その間に、リベラシオン広場やスペイン広場の建設、新たな市の大通りや動脈の建設という都市計画が進められて全ての面で変貌を遂げた[要出典]。
交通
道路
高速道路
- A5 - アライシュの東に走る高速道路。
国道
- 国道1号線 - 町の中心部を南北に走る道路。
姉妹都市
関連項目
脚注
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