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ラルフ・ハワード (初代ウィックロー子爵)
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初代ウィックロー子爵ラルフ・ハワード(英語: Ralph Howard, 1st Viscount Wicklow PC (Ire)、1727年8月29日[1] – 1789年6月26日)は、アイルランド王国の政治家、貴族。1761年から1776年までアイルランド庶民院議員を務めた[1]。

生涯
エルフィン主教ロバート・ハワード(1740年4月3日没)と妻ペイシェンス(Patience、ゴドフリー・ブーリンの娘)の息子として[2]、1727年8月29日に生まれた[1]。1743年10月19日にダブリン大学トリニティ・カレッジに入学、1747年春にB.A.の学位を修得した[2]。
1749年にウィックロー県長官を、1754年にカーロウ県長官を務めた後[2]、1761年から1776年までウィックロー県選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[1]。1761年と1768年の総選挙ではドニゴール県のセント・ジョンズタウン選挙区で重複当選している[1]。1770年5月7日、アイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[2]。
1772年9月、アイルランド総督の第4代タウンゼンド子爵ジョージ・タウンゼンドが退任に際してハワードの叙爵を推薦した[2]。1776年7月21日、ハワードはアイルランド貴族であるカーロウ県クロンモア城におけるクロンモア男爵に叙された[2]。1777年10月14日、アイルランド貴族院で紹介を受けて貴族院議員に就任した[2]。1785年6月21日、同じくアイルランド貴族であるウィックロー県におけるウィックロー子爵に叙された[2]。
1789年6月26日にダブリンのラトランド・スクエア(現パーネル・スクエア)で死去、息子ロバートが爵位を継承した[2]。
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家族
1755年8月11日、アリス・フォワード(Alice Forward、1737年ごろ – 1807年3月7日、ウィリアム・フォワードの娘)と結婚[2]、7男4女をもうけた[3]。
- ロバート(1757年8月7日 – 1815年10月23日) - 第2代ウィックロー子爵、第2代ウィックロー伯爵[2]
- ウィリアム(1761年1月 – 1818年9月27日) - 第3代ウィックロー子爵、第3代ウィックロー伯爵[2]
- ヒュー(1761年1月27日 – 1840年11月3日) - アイルランド庶民院議員[4]
- ジョン(1778年没) - 生涯未婚[3]
- ラルフ(1773年没[3])
- ブーリン - 聖職者[3]
- ヘンリー(1793年没) - フランス革命戦争のフランドル戦役で戦死[3]
- ステュアータ(Stuarta、1823年没) - 生涯未婚[3]
- イザベラ(1784年没) - 生涯未婚[3]
- キャサリン(1842年2月24日没[5])
- メアリー(1776年 – 1798年7月25日) - 1797年、トマス・ホア(Thomas Hore、ウォルター・ホアの息子)と結婚[5]
アリスはウィックロー子爵死後の1793年12月5日にアイルランド貴族であるウィックロー伯爵に叙され、1807年にラトランド・スクエアで死去した[2]。
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出典
関連図書
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