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アレクシス・ド・カスティヨン

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アレクシス・ド・カスティヨン
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アレクシス・ド・カスティヨンAlexis de Castillon, 1838年12月13日 シャルトル 1873年3月5日 パリ)はフランス作曲家。病により夭折した[1]

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アレクシス・ド・カスティヨン

本名はマリー=アレクシス・ドゥ・カスチヨン・ドゥ・サン=ヴィクトール(Marie-Alexis de Castillon de Saint-Victor)といい、ラングドックの古い貴族の末裔であった。両親からは軍人の道に入ることを要望されたが、本人は軍職をなげうって音楽に入れ込み、地元とパリピアノ作曲を学んだ。その後パリ音楽院に進んでヴィクトール・マセに、1869年にはセザール・フランクに師事。最初の作品番号が与えられた《ピアノ五重奏曲》は、フランクの指導下に作曲されており、1865年の習作の《交響曲ヘ長調》など、以前の作品は作者自身によって否認された。

虚弱体質のため(1870年普仏戦争に志願したものの病を得て1871年に除隊されている)、1873年に病死した。それでもピアノ曲室内楽曲、芸術歌曲ピアノ協奏曲、管弦楽曲など、ロベルト・シューマンに影響されたロマン主義的な作品をいくつか遺している。またパリの楽壇にも関わりを持ち、とりわけ1871年には「国民音楽協会フランス語: Société Nationale de Musique)」の創設に協力して事務局長に就任した。

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主要作品一覧

ピアノ曲

  • 自由な様式によるフーガ(Fugues dans le style libre)作品2[2]
  • 組曲(Suites)作品5および作品10[3]
  • 古風な様式による5つの小品(Cinq pièces dans le style ancien)作品9 (1871年)
  • 《6つのユーモラスな円舞曲(Six Valses humoristiques)作品11(1872年出版)(後年シャルル・ケクランが管弦楽曲に編曲)[3]

室内楽曲

  • ピアノ五重奏曲 変ホ長調[4] 作品1 (1863年-64年)[5]
  • 弦楽四重奏曲 第1番 イ短調 作品3 (1867年までに完成、アンリ・ポアンセへの献呈作品)[5]
  • 弦楽四重奏曲 第2番 ヘ短調(1867年までに完成、作品3-2として構想されるもカヴァティーナ楽章のみ出版)[5]
  • ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調 作品4 (1865年)[6][7]
  • ピアノ三重奏曲 第2番 ニ短調 作品17 (1879年)[8][6][9]
  • ヴァイオリン・ソナタ ハ短調 作品6 (1868年)[10]
  • ピアノ四重奏曲 ト短調 作品7 (1869年)[11]

管弦楽曲

  • ピアノ協奏曲 ニ長調 作品12 (1871年)
  • 交響的素描 作品15 (1872年)
  • 独唱者と合唱、管弦楽団のための《詩篇唱 第84番》作品17(1912年になって誤って割り振られた作品番号につき、重複している)[12][3]

歌曲

  • アルマン・シルヴェストルの6つの詩(Six poèmes d'Armand Sylvestre) 作品8 (1868年-73年)[13]
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脚注

外部リンク

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