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アレッサンドロ・アローリ
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アレッサンドロ・アローリ(Alessandro Allori、Alexandre Alloriとも、1535年5月3日 – 1607年9月22日) は、イタリアの画家である。16世紀末のフィレンツェで最も活躍した画家の一人とされる。
略歴
フィレンツェで生まれた。父親は剣を作る職人であったがアローリが5歳の時に亡くなった。フィレンツェの画家アーニョロ・ブロンズィーノ(1503-1572)が後見人となり、アローリに絵も教えた[1] 。アローリは自らをブロンズィーノの息子であるとして、しばしば作品にブロンズィーノの姓を加えて署名した。1552年にはフィレンチェ公、アレッサンドロ・デ・メディチから注文を受けるようになっていた。
1554年から1560年の間、ローマで修行し、ミケランジェロ(1475-1564)の作品などを研究した。
フィレンチェに戻るとトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチのために働き、フィレンツェに大きな工房を開いて活動した。アローリの工房はサンティ・ディ・ティート(Santi di Tito: 1536-1603)の工房と並んでフィレンツェで重要な工房になった[2]。アローリの工房で働いた画家にはチーゴリやジョヴァンニ・ビッツェーリ(Giovanni Bizzelli)、クリストファーノ・デル・アルティッシモ(Cristofano dell'Altissimo)、チェーザレ・ダンディーニ(Cesare Dandini)らがいる[3]。
フィレンツェで没した。息子のクリストファーノ・アローリ(1577-1621)も有名な画家になった。
肖像画や宗教や神話を題材にした装飾画も描いた。
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作品
- Bianca Capello de Medici(大公妃)
ダラス美術館 - Maria de' Mediciとされる女性の肖像画
美術史美術館 - マリアとマルタの家のキリスト(1605)
美術史美術館 - キリストと姦通の女 (1577)
サント・スピリト聖堂
脚注
参考文献
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