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イギリス運転免許庁
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イギリス運転免許庁(イギリスうんてんめんきょちょう、英:Driver and Vehicle Licensing Agency、ウェールズ語: Asiantaeth Trwyddedu Gyrwyr a Cherbydau)、運転免許・車両登録庁(うんてんめんきょしゃりょうとうろくちょう)、またはDVLAは、グレートブリテン島における運転者データベースと、連合王国全域における自動車登録データべース (イギリス)の維持を所掌する英国政府の機関である。北アイルランドにおける運転者データベースの管理は北アイルランド運転免許庁である。同庁は運転免許証の発行、自動車税の徴収、希望登録番号の販売を行う。

イギリス運転免許庁は運輸省のエグゼクティブ・エージェンシーで、現職の長官はティム・モスである[1]。
本部はウェールズのスウォンジーに置かれ、クラース地区の美しい16階建て庁舎と、スウォンジー・ヴェール地区の事務所群を有する。旧称は運転免許・車両登録センター(Driver and Vehicle Licensing Centre)であった。
かつてはグレートブリテン各地に39の地方事務所を展開し、窓口での免許申請や各種手続に対応していたが、2013年に全て閉鎖された。これにより同庁の業務はスウォンジーに集約され、利用者の大半は郵送または(一部の手続については)電話による非対面手続を行うこととなった[2]。
DVLAは2004年に電子自動車課税を導入し、利用者はオンラインおよび電話で自動車税を納付できるようになった[3]。もっとも、ポストオフィス(郵便局)経由での納税も引き続き可能である。ポストオフィスが自動車税の取扱いを継続できる7年間の契約が2012年11月に合意され、さらに3年間の延長オプションが付された[4]。
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歴史
当初、車両登録はグレートブリテン各地のカウンティバラおよびカウンティの評議会が所掌しており、この制度は1903年自動車法により創設された。1968年にはスウォンジーの運転免許・車両登録センターの中央集権的な免許制度が整備されて各地の評議会から免許業務が移管され[5][6]、1969年にはスウォンジーのロングビュー・ロードにある旧クレーズ・ファーム跡地に新設庁舎が建設された[7]。
建設
1967年11月の時点で、職員数は4,000人になると見込まれていた(当初見積りは2,000人)[8]。第1期・第2期工事はFGミンターが担当し、費用は275万ポンド。第2期は4階建て区画で、費用は130万ポンド、1971年4月までの完成が予定されていた[9]。第3期工事もFGミンターが担当し、費用は400万ポンドであった[10]。
敷地面積は25エーカー。FGミンターは同時期にスポーツウェールズナショナルセンターの建設も手掛けた。
コンピューターシステム
1969年4月、約1,000万ポンドの契約がインターナショナルコンピューターズに与えられた。なお米国企業はこの契約に応募することができなかった[11]。運用は1973年3月1日に開始され、免許申請の98%が10日以内に処理された[12]。新しい免許証は1973年3月1日に初めて発行され、緑色のシート様式となった(それ以前は赤い冊子であった)。
同センターは当初から運転免許業務を扱ったが、車両登録のデータが反映されるまでには2年を要した。1974年10月1日以降に登録された車両がスウォンジーのコンピューターに初めて登載され、1975年4月1日からはL・M・Nの登録記号が追加された[13]。1975年11月1日にはKが[14]、1976年7月にはHおよびJが[15]、1977年7月までにはDが追加された[16]。
1977年8月時点で職員数は5,300人、毎月約90万件の新規・変更免許が発行された[17]。1978年には職員数は5,500人となった。
改称
1990年4月、運転免許・車両登録センターは運転免許・車両登録庁に改称され、運輸省のエグゼクティブ・エージェンシーとなった[18]。
在独英軍の民間車両
外交団および領事車両
外交団および領事館の公用車両は、外務・英連邦・開発省に代わってDVLAが登録を行う。
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脚注
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