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イスラエルの政党
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概要
イスラエルの政治制度は、比例代表制を基礎とし、120議席のクネセト(立法府)に数多くの議員政党が存在する複数政党制である。
イスラエルの総選挙では、3.25%の得票数を超えなければ議席を採れない[1]とする障壁がある(1949年から1992年までは投票の1%、1992年の選挙から2003年までは1.5%、2003年の選挙から2014年までは2%、2015年以降の選挙は3.25%[2][3])。一般にクネセトには多くの党派が存在している。例えば、2015年イスラエル総選挙では10の政党・同盟がこの障壁を超え、そのうち5つが10以上の議席を獲得した。障壁は全国政党名簿比例制と合わせて、一つの政党が多数派政府に必要な61議席を獲得することをほぼ不可能にしている。実際に、選挙で過半数の議席を獲得した政党はなく、1969年総選挙でマアラハ(労働党)が獲得した56議席が最大である(選挙結果が反映される1969年1月までの一時期、マアラハは議席の過半数を占めていた)。その結果、イスラエルで首相を輩出したのは3つの政党(またはその前身)しかないにもかかわらず、全ての政権が2つ以上の政党による連立で構成されていた[4]。
小さな政党がキャスティング・ボート_(比喩)のような大きな影響力を持たないように、2014年に閾値が2%から3.25%に変更されて次の選挙(2015年)から適用されたが、実際には逆に小さな政党の影響力は大きくなった。また、限られた支持しかない過激派は穏健派と手を組んで議席を得ようとした。それにより穏健派が主導権を握ることが期待されたが、過激派に連合から離脱されると穏健派は困るので、過激派の発言力がより大きくなった[5]。
2019年4月の第21回クネセト選挙では、36万6000票(全投票数の8.5%)が死票になっている[6]。
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現在の政党
要約
視点
クネセトに議席を持つ政党
クネセトに議席を持たない政党
- カディマ党 - 首相でリクード党首のアリエル・シャロンが党内の反対を押し切ってガザ地区等撤退を強行したあと、離党して2005年に作った中道主義のシオニズム政党。労働党から離党して参加した議員もいた。イスラエルとパレスチナの共存(二国家解決)を掲げている。但し、建設された分離壁を国境とする案を唱えている。
- エレツ・イスラエル・シェラヌ
- シヌイ
- マーヴァク - マツペンから分裂。毛沢東主義
- ダアム - 1995年にイスラエル共産党から分離した新左翼。
- アレ・ヤロク - 大麻合法化、環境主義などを掲げる
- イスラエル海賊党
など多数
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過去の政党
- カハ
- 国家統一党(ナショナルユニオン) - 複数の極右・宗教政党の集合体。「ユダヤの家」やナショナルユニオンTkuma(宗教シオニスト党)やイスラエル・ベイテイヌやオツマ・イェフディットに分裂した。
- マパイ - 労働党の前身。主要政党だった。
- ヘルート - リクードの前身
- マツペン - イスラエル共産党から分離した新左翼
- マパム - メレツの前身
- メレツ - 左派政党。2024年に労働党と合併して民主党(2024)になった。
- ヤミナ - 右翼の政党の連合
- ユダヤの家 -
- ハトヌア - リクードから分裂したカディマから2012年に分裂したツィッピー・リヴニの政党。労働党と「シオニスト連合」という政党連合を組んでいた時期がある。
- 新右翼(ニュー・ライト) - 2018年にユダヤの家から分裂したナフタリ・ベネットの政党。ヤミナを主導したあと、ユダヤの家に戻った。
- 国民宗教党・マフダル - 1956年設立。10議席程度を持つ政党だったが、2000年ごろから勢力が弱まった。宗教シオニスト党・ユダヤの家・ナショナルユニオン・ニュー・ライトの源流。
- クラヌ - 中道政党。ヨアヴ・ガラントの出身政党。
脚注
関連項目
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