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イレネー記念
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イレネー記念(イレネーきねん)は、帯広市が帯広競馬場で開催するばんえい競馬の重賞競走である。ばんえい競馬においては同レースは「生産者の夢」としてばんえい重賞の中でもばんえい記念に次ぎ特別な地位を占めるレースとなっている[2]。
競走名の「イレネー」は、現在につながるばんえい競走馬の礎を築き「ばん馬の父」とも称されている種牡馬[3](後述)。
北海道知事賞(馬主・生産者)、十勝農業協同組合連合会賞(馬主・調教師・騎手・厩務員)、独立行政法人家畜改良センター十勝牧場賞、農業法人鎌田きのこ株式会社賞(馬主・調教師・騎手・厩務員)[4]。
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概要
要約
視点
1969年に創設[5]され、デビュー初年度の2歳(明け3歳)世代チャンピオンを決定する重賞競走として定着している[5]。2歳(明け3歳)馬による競走としては唯一、BG1に格付けされた。
施行場は創設時より帯広競馬場で定着しており、他場で施行されたことは一度もない[5]。
競走条件・賞金(2025年)
イレネーについて
競走名の由来となったイレネー(1908年3月14日 - 1928年5月22日[6][7])はフランス生まれのペルシュロン種牡馬[6]。父ダミアン、母デース[6]。毛色は青毛、特徴は流星・珠目上・鼻白・後二白・全身刺毛[6]。
1910年、馬政局馬政官の丹下謙吉・土肥原鑑がフランスにて2400円で購入し日本へ輸入されると、十勝種馬牧場(現・家畜改良センター十勝牧場)にて種牡馬として供用された[6][7]。イレネーは1928年に事故で死亡するまでの18年間に1074頭と交配され、597頭の産駒を出した[6][7]。そのうち196頭が種牡馬となり、直系子孫363頭まで合わせると559頭が種牡馬となって全道に分布[6]し、5万頭あまりの種雌馬と配合される[7]など大正時代から昭和初期にかけて大いに繁栄し、十勝地方における馬産の礎になったといわれている。当時は公認競馬や公営競技としてのばんえい競走は行われておらず、主に軍馬や農耕馬としての需要が中心だった。
こうした功績を称え、1930年には十勝畜産組合が全国でも類を見ない種馬の銅像として、イレネー像を帯広市の十勝公会堂前(現・帯広市西5条南8丁目)に建立[3][8][7]。当時の動物彫塑の最高権威として知られていた帝室審査員の池田勇八が、とくにイレネーの体型に酷似すると言われていたイレネーの直仔第28イレネーを参考に製作し、同年8月10日に除幕式が行われた。除幕式の様子を報じた当時の十勝毎日新聞は「来賓800人余り、一般観衆2000人余りが集まった」と伝えている[7]。旧イレネー像は太平洋戦争の戦局悪化に伴う金属供出により1943年に一旦消失[3][8][7]したが、1963年に十勝農業協同組合連合会が創立15周年を記念して、帯広競馬場の前庭にイレネー像の再建を決定[7]。当初は再度池田勇八に制作を依頼したが、折衝中に池田が急逝したため加藤顕清が製作し、1964年7月27日に除幕式が行われた。
馬名を冠したばんえい競馬の競走
イレネー記念は、現在ばんえい競馬で行われている競走では唯一、馬の功績を記念して名前を冠したレースとなっている[5]。
このほか、過去には以下のような重賞・特別競走が行われていた。
- オナシス記念(重賞競走、1985年を最後に廃止)
- タカラコマ記念特別(特別競走、1995年を最後に廃止)
- 二世ロッシーニ記念特別(特別競走、2006年を最後に廃止)[9]
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歴代優勝馬
- 優勝馬の馬齢は2000年まで旧表記、2001年から現表記。
- 第26回以降は年をまたいだ開催のため、馬齢を1歳加算。
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参考文献
- 「『蹄跡』」、北海道馬産史編集委員会、1983年。
出典
ほかにばんえい競馬で行われる2歳(明け3歳)馬の重賞
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