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ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー

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ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」(With or Without You)は、U2の楽曲。

概要 「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」, U2 の シングル ...

アルバム『ヨシュア・トゥリー』からの先行シングルで、U2のシングルとして初めてUSチャートで1位に輝いた曲。UKよりもUSでのチャートアクションがよかった曲もこれが初めて。また、U2初のシングルCDである。

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解説

ライチャス・ブラザーズスコット・ウォーカーのアルバム「Climate of Hunter」にインスパイアされ作られた曲といわれている[1]

1985年後半に、ラリーの自宅にメンバーが全員集合、The Unforgettable Fireツアー中に作った素材を膨らませたデモが元になっている。ボノがコードシークエンスを書き、ヤマハのドラムマシーンのビートとアダムのアイバニーズ・ベースによるベース部分からなるデモだったが、この段階では単調な同じコードの繰り返しで使いものにならなかったのだという[誰によって?]。The Joshua Treeのレコーディングに入ってからもなかなか突破口が開けず、皆が放棄したところで、ボノとギャヴィン・フライデーの手に渡った。ボノは「ゴミ箱に丸めて捨てられたこの曲を彼(ギャヴィン)が拾い上げてまとめてくれた」と述べている[2]。そして、イーノが「Bad」のときと同じようにキーボードでアルペジオを加えてようやく形になり始めたところで、エッジの元に映画「Captive」のサントラで共演したマイケル・ブルックから、ヴァイオリンのように果てしなく音が伸びるインフィニット・ギターが届いて、事態は急展開、ようやく曲が完成した。

歌詞は、ボノが1986年にコート・ダジュールを訪れた時に書いたもので、その意味については諸説あった。しかし、本人は「U2 By U2」において、ロックスターの生活と普通の家庭生活の板挟みになって悩んでいた、当時の心境を綴ったとのこと。この際、ボノの念頭にあった典型的なロックスターの生活とは、ザ・ポーグスのヴォーカル・シェイン・マガウアンだった。だが、歌詞を書きながらボノはこの2つの生活の間の緊張を生きることこそが、アーチスト的な人生だと悟ったという。

ちなみにポール・マクギネスはこの曲を「おかしな音が鳴っている曲」と考え、シングルカットに反対したのだが、ギャヴィンが「絶対No.1ヒットになるから」と説き伏せ、アルバムからの先行シングルとなった[要出典]果たしてギャビンの予想は当たり、後でポールは平謝りに謝ったということである[要出典]

「With or Without You」は、U2の代表曲となるとともにロックのスタンダード・ナンバーとなり、The Mission UKの「Butterfly on a Wheel」、イギー・ポップの「Beside You」、CHAGE and ASKAの「この愛のために」、リンキン・パークの「Shadow of the Day」、アリシア・キーズの「No One」など亜流ともいえる曲を沢山生んだ。

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ライブ

「With or Without You」は1987年4月4日、Joshua Tree Tourの2回目の公演において初めてライブで演奏され、同ツアーの残りの日程でもレギュラーとして演奏された。1989年のLovetown Tourでもほとんどの公演において演奏された。これらのツアーにおいて、スタジオ版には無い2つの追加パートが演奏された: 一つは『魂の叫び』(映画)にも収録されている「We'll shine like stars in the summer night/We'll shine like stars in the winter light/One heart, one hope, one love」又はこれを改変した歌詞を歌う追加のヴァースで、もう一つはジョイ・ディヴィジョンの「Love Will Tear Us Apart」からの断片を歌うもので、こちらは「Live from Paris」で聴くことができる。POPMART TOUR以降、ボノは曲のクライマックスで「Ohh」を繰り返すことが多くなった(稀に「shine like stars」のヴァースも歌われる)。

「With or Without You」はZoo TV Tourのほとんどの公演とPOPMART TOURの全ての公演で演奏された。Elevation Tourの第3レグではセットリストから漏れた。Vertigo Tourでは当初は稀にしか演奏されなかった - 2ヶ月にわたる同ツアーの第1レグにおいてこの曲が演奏されたのは4回だけである[3]。欧州での第2レグでのスタジアムコンサートではレギュラー曲となり、第3レグのセットリストにも残った。U2 360° Tourでも毎晩演奏され、時々「shine like stars」のコーダも歌われた[4]。Innocence + Experience Tourでは本編の最後の曲として毎回演奏され、ここでも「shine like stars」のコーダがしばしば歌われた。

ライブ・パフォーマンスは『Zoo TV: Live from Sydney』、『PopMart: Live from Mexico City』、『Elevation 2001: Live from Boston』、『U2 Go Home: Live from Slane Castle』、『Vertigo 05: Live from Milan』、『U2 3D』、『U2 360° at the Rose Bowl』にも収録されている。

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B面

Luminous Times (Hold On To Love)

愛の矛盾や複雑さを歌った曲。いい曲だという感触はあったが、レコーディング中に完成させることができず、B面に回された。

Walk To The Water

これもレコーディング中に完成させることができず、B面に回された曲。ビル・グラハムはヴァン・モリソン的と評しているが、ナイル・ストークスはフィル・ライノットの影響が見られると述べている[5]

ボノはこの2曲なしには「With Or Without You」は意味をなさないと述べている[6]

収録曲

  1. "With Or Without You"
  2. "Luminous Times (Hold on to Love)"
  3. "Walk to the Water"

PV

監督はメイアート・エイヴィスとマット・マハーアン。後にエッジの2番目の妻となるモーリー・スタインバーグがちらりと姿を見せている。「The Joshua Tree」のスーパー・デラックス・エディションにはPVのオルタナ・ヴァージョンが収録されている。

サウンドトラック

嘘と矛盾に満ちた世界を生きる全ての人間の苦悩を歌う永遠の名曲。“自分をさらけ出そう”と歌うボノの魂の叫びは“偽証”の謎に立ち向かう主人公達を祝福し、映画の持つ本質と完璧に共鳴し、ラストの感動を何倍にも増幅してくれる[10]成島出(監督)、池田史嗣(プロデューサー)

カバー

カバー

「One」に次いで2番目にカバーされた回数が多いU2の曲。

    • セラピー?英語版(92)
      北アイルランド出身のインダストリアルメタルバンド。 限定盤EP「Have a Merry Fucking Christmas」に収録されているためか、リストにないが、カバーしている。
    • Heaven17(99)
      80年代に一世を風靡したエレポップバンド。
    • 宇多田ヒカル(01)
      MTVアンプラグド出演時にカバー。この模様は『Utada Hikaru Unplugged』として商品化されている。
    • Keane(06)
    • GLAY(07)
      彼らはU2ファン。
    • Salyu×Superfly(10)
      ライブでカバー。
    • 2Cellos(11)
    • ツイン・シャドウ(13)
      「UNDER THE CVRS」というカバープロジェクトの一環で披露[11]
    • Kishi Bashi
      SoundCloudで公開(13)
    • Imagine Dragons(14)
      ライブでカバー
    • OneRepublic
      ライブでカバー

サンプリング

  • LMC vs. U2 - Take Me to the Clouds Above(04)
    ホイットニー・ヒューストンの「How Will I Know」とU2の「With Or Without You」をサンプリングした曲で、UKナンバー1ヒットとなった。
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評価

[12]

イヤーオブ

  • 1987年MTVビデオミュージックアワード・ヴューザーズ・チョイス
  • 1987年ホットプレス年間ベストシングル第11位
  • 1987年ホットプレス読者が選ぶ年間ベストアイリッシュシングル第2位
  • 1987年ローリングストーン読者が選ぶ年間ベストシングル第1位
  • 1987年ヴィレッジ・ボイスPazz & Jopシングルリスト第15位

オールタイム

  • 1989年ラジオヴェロニカ(オランダ)が選ぶオールタイムベスト500第182位
  • 1988年BBCレディオ1が選ぶベストソング第7位
  • 1989年Qマガジン読者が選ぶオールタイムベストソング100第47位
  • 1999年スタジオ・ブリュッセル(ベルギー)の視聴者が選んだオールタイムベストソング第15位
  • 2000年ローリングストーンが選ぶ偉大なポップソング100第8位
  • 2004年ローリングストーンが選ぶオールタイムベストソング500第131位)
  • 2006年Qマガジンが選ぶオールタイムベストソング100第17位
  • 2006年VH1の番組「The Greatest」における80年代の最も偉大な100曲第13位[13]
  • 2009年ガーディアンが選ぶ誰もが知っている曲1000
  • 2009年ラジオヴェロニカ(オランダ)が選ぶ80年代ベストソング100第1位
  • 2010年ローリングストーンが選ぶオールタイムベストソング500第132位
  • 2012年NMEが選ぶ過去60年のベストソング100:80年代編第66位
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脚注

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