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ウィリアム・ジョンストン (初代アナンデイル侯爵)
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初代アナンデイル侯爵ウィリアム・ジョンストン(英語: William Johnstone, 1st Marquess of Annandale KT PC、1664年2月17日 – 1721年1月14日)は、スコットランド貴族。

生涯
初代アナンデイル=ハートフェル伯爵ジェームズ・ジョンストンとヘンリエッタ・ダグラス(Henrietta Douglas、1633年頃 – 1673年6月1日、初代ダグラス侯爵ウィリアム・ダグラスの娘)の次男(長男ジェームズは夭折)として、1664年2月17日に生まれ、グラスゴー大学で教育を受けた[1]。最初は反ジェームズ7世の陰謀に加担し、後にジェームズ7世支持に転じたが、1690年にウィリアム3世と和解してスコットランド枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。
ウィリアム3世の治世では1693年から1695年までスコットランド枢密院議長を、1696年から1705年までスコットランド大蔵卿(Lord Treasurer of Scotland)を、1701年にスコットランド教会総会への勅使を務めた[1]。また、1701年6月24日にアナンデイル侯爵、ハートフェル伯爵、アナンド子爵、ロックウッドのジョンストン卿に叙された[1]。
1702年にアン女王が即位すると、1702年5月15日から1706年2月28日までスコットランド枢密院議長を再任、1705年3月9日から9月29日までスコットランド国務大臣を務め、1705年と1711年にスコットランド教会総会への勅使を務めた[1]。また、1704年2月7日にシッスル勲章を授与された[1]。イングランド王国との合同には反対したが、グレートブリテン王国が成立した後の1708年から1713年までスコットランド貴族代表議員を務め、1711年4月19日にグレートブリテン枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。
ジョージ1世が即位すると枢密顧問官に再任され、1714年から1716年までスコットランド国璽尚書を、1715年から1721年までスコットランド王璽尚書を務め、1715年に再びスコットランド貴族代表議員に選出され1721年まで務めた[1]。1715年ジャコバイト蜂起が勃発したときもハノーヴァー朝を支持、ダンフリーズ、カーカッドブライト、ピーブルシャー統監に任命された(以降1721年に死去するまで在任)[1]。
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家族
1682年1月2日、エディンバラでソフィア・フェアホルム(Sophia Fairholm、1668年3月19日 – 1716年12月13日、ジョン・フェアホルムの娘)と結婚[1]、下記の子女を儲けた[2]。
- ヘンリエッタ(1682年11月11日 – 1750年11月25日) - 1699年8月31日、初代ホープトン伯爵チャールズ・ホープと結婚、子供あり
- メアリー(1686年6月15日 – ?) - 夭折
- ジェームズ(1687年 – 1730年) - 第2代アナンデイル侯爵、生涯未婚
- ジョン(1688年8月3日 – 1694年頃)
- ウィリアム(1696年8月 – 1721年9月24日)
1718年11月20日、シャーロット・ヴァン・ロア(Charlotte van Lore、1762年11月23日没、ジョン・ヴァン・デン・ベンプド(John van den Bempde)の娘)と再婚[1]、下記の子女を儲けた。
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出典
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