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ウィンザー子爵

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ウィンザー子爵: Viscount Windsor)はイギリスの子爵位。これまでに2度創設されており、いずれもウィンザー家に対する叙爵である。第1期はアイルランド貴族として、第2期は連合王国貴族としての創設で、このうち第2期がプリマス伯爵の従属爵位として現存している。

歴史

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2代子爵ハーバート 彼の死とともに第1期のウィンザー子爵は廃絶した。

第1期(1699年)

庶民院議員トマス・ウィンザー(1669–1738)1699年6月19日アイルランド貴族爵位の「ブラックキャッスルのウィンザー子爵(Viscount Windsor of Blackcastle)」に叙されたが、これが第1期の創設にあたる[1][2]。トマスはドロイトウィッチ選挙区英語版ブランバー選挙区英語版選出のトーリー党に属した政治家で[2][3]、彼はさらに1712年1月1日グレートブリテン貴族として「ワイト島のマウントジョイ男爵(Baron Mountjoy in the Isle of Wight)」を授けられている[1][2]。トマスは初代プリマス伯爵英語版の次男であるため[4]、伯爵家の祖アンドリュー・ウィンザー英語版とその妻メアリー(第2代マウントジョイ男爵英語版の娘)の子孫にあたっており、爵位名は夫妻に由来する。

しかし、その子である2代子爵ハーバート(1707–1758)が子のないまま没すると、すべての爵位は廃絶した[1][5]

なお、2代子爵の娘シャーロットはビュート伯爵家に嫁いだが、彼女の夫であるジョン・ステュアートは1796年にウィンザー伯爵及びワイト島のマウントジョイ子爵を授けられている[6]

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第14代ウィンザー男爵

第2期(1905年)

第14代ウィンザー男爵ロバート・ウィンザー=クライブ英語版(1857–1923)1905年連合王国貴族として「プリマス伯爵(Earl of Plymouth)」及び「グラモーガン州セント・ファガンズのウィンザー子爵(Viscount Windsor, of St Fagans in the County of Glamorgan)」に叙されたが[7][8][9]、これが第2期の創設にあたる。以降も初代伯の子孫が爵位を保持しており、4代伯アイヴァー(1951-)がウィンザー子爵位を有している。

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ウィンザー子爵(第1期;1699年)

ウィンザー子爵(第2期;1905年)

脚注

関連項目

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