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エウトロピア
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エウトロピア(ラテン語: Eutropia、ギリシア語: Εύτροπία、生没年不明)は、ローマ皇帝マクシミアヌスの皇后[3]。シリア属州の出身である[4]。
経歴
3世紀末期にマクシミアヌスと結婚したとされるが、正確な日付は分かっていない。2人の間には、後のローマ皇帝(在位:306年 - 312年)であるマクセンティウスと、コンスタンティヌス1世の皇后であり、コンスタンティヌス2世、コンスタンティウス2世、コンスタンス1世の母后となるファウスタの、少なくとも2人の子がいた。
コンスタンティウス・クロルスの皇后であるフラウィア・マクシミアナ・テオドラもエウトロピアの子であるが、彼女の出自には議論がある。テオドラが息子の一人に「ハンニバリアヌス」と名付けていることから、彼女はエウトロピアの前夫であるアフラニウス・ハンニバリアヌスとの間に生まれた子供であり、マクシミアヌスにとっては継娘に当たるとするのが通説である[5]。しかし、古典学者のティモシー・バーンズは、テオドラをマクシミアヌスの実子とする少数の文献には高い信頼性があると述べており、マクシミアヌスの前妻をアフラニウスの娘(アフラニア)と仮定した上で、テオドラは2人の娘であり、むしろエウトロピアにとって継娘に当たると提唱している[6]。西洋史学者のジュリア・ヒルナーも、テオドラをマクシミアヌスの実子とするバーンズの見解に賛同しており、一連の継娘に関する文献はコンスタンティヌス朝時代に作られた政治的プロパガンダの一部であるとしている。ただし、バーンズの学説が事実だとすると、テオドラの母は皇后のエウトロピアではなく、無名のアフラニアとなるため、彼女が娘にエウトロピアと名付けた理由が説明できないとも述べている。そのため、ヒルナーはアフラニウスがエウトロピアの兄弟と解釈し、テオドラはマクシミアヌスとエウトロピアの実子であると主張している。これは、古代史学者のジョン・ヴァンダースポールの見解に沿うものである[7]。
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脚注
参考文献
外部リンク
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